2022シーズンをもって現役を引退した福留孝介さんは、ドラフト入団拒否騒動や性格が頑固だったという噂もありますが、若い頃はどうだったのでしょうか。この記事では、福留孝介さんの若い頃や引退後の仕事などについてみていきましょう。
福留孝介さんは2022年シーズンをもって現役を引退しましたが、若い頃は頑固だといわれ色々なエピソードもあります。この記事では、福留孝介さんの若い頃や、引退後について詳しくみていきましょう。
福留孝介さんは若い頃は頑固な性格だったといわれています。福留孝介さんは実際に若い頃は頑固だったのでしょうか。
福留孝介さんは若い頃から自分の意志を貫き通す強さを大切にしていたといいます。その信念を貫く姿勢が、周囲からは頑固だと思われていたのかもしれません。
福留孝介さん自身が不良だったわけではありませんが、時には素行不良のようにも感じられてしまうこともあったようです。
福留孝介さんの頑固さを表すエピソードとして有名なのはドラフト入団拒否騒動です。福留孝介さんは、高校時代は当時強豪だったPL学園高校の野球部に所属し、甲子園に出場して大活躍しました。
その活躍から高校3年生のときのドラフト会議で、福留孝介さんは7球団から1位指名を受けます。しかし、福留孝介さんは当時最も有名だった巨人と憧れの立浪選手のいる中日以外は、ドラフト入団を拒否する意向を示していました。
福留孝介さんとの交渉権を獲得したのが近鉄だったために、福留孝介さんはドラフト入団拒否を貫き、日本生命へ入社しています。
福留孝介さんは金の亡者のようなエピソードもあります。2006年に打率0.351、31本塁打と中日の優勝に大きく貢献した福留孝介さんは、シーズン終了後の契約更改になかなか応じませんでした。
希望額4億円を提示した福留孝介さんに対して、球団側が提示した金額は3億8,000万円だったため、福留孝介さんはサインに応じず「誠意は言葉ではなく金額」という名言も発しています。
結果として次のシーズンが始まってしまうということで、福留孝介さんは渋々契約更改に応じましたが、海外FA権を取得したら早々にメジャーへ移籍したのは、福留孝介さんと中日球団との間に遺恨が残ったのではないかとも噂されていました。
福留孝介さんの若い頃の評価はどうだったのでしょうか。メジャー移籍前の中日時代には、福留孝介さんは打球を広角に打ち分ける技術に長けていて、30本塁打を2度も記録しました。
また、福留孝介さんの守備も方の強さはNPBだけでなくMLBの平均も上回るデータを記録しており、攻守ともに若い頃は優れた選手だったと評価されています。
福留孝介さんのプロフィールです。
生年月日 | 1977年4月26日 |
出身地 | 鹿児島県曽於郡大崎町 |
身長・体重 | 182cm・90kg |
投打 | 右投左打 |
ポジション | 外野手・遊撃手・三塁手 |
成績・タイトル | NPB通算19年:6822打数1952安打285本塁打 打率0.286 首位打者2回・最高出塁率3回 MLB通算5年 :1929打数498安打42本塁打 打率0.258 |
経歴 | 小学3年生のときに大崎ソフトボール少年団に入る 中学生の時にはボーイズリーグの大崎ビッグベアーズに所属 立浪選手に憧れてPL学園高校へ進学 1995年秋のドラフト会議で7球団から1位指名され近鉄が交渉権獲得も入団拒否 1996年日本生命入社 1998年秋のドラフト会議で中日を逆指名 1999年中日へ入団 2007年シーズン終了後に海外FA権の行使を宣言 2007年12月にシカゴ・カブスと契約 2011年7月にインディアンスにトレード移籍 2012年2月にホワイトソックスと契約 2012年7月にヤンキースとマイナー契約 2012年12月に阪神と契約 2020年12月に中日に復帰 2022年シーズン終了後に現役引退 |
福留孝介さんは現役引退後はどうするのでしょうか。野球選手として大きな功績を残した福留孝介さんなので、引退直後にすでに解説者などの仕事が決まっています。2023年当初に決まっている福留孝介さんの仕事は次のとおりです。
若い頃はとにかく頑固者で素行不良とも言われた福留孝介さんでした。しかし、アメリカでは日本にいた頃のような活躍ができなかったこともあり、帰国後はかなり丸くなったともいわれています。
もし指導者としてまたユニフォームを着る機会があるなら、頑固なだけでは若い選手はついてこないかもしれません。
日米の野球を知り尽くしている福留孝介さんの今後の活躍に期待しましょう。