チョ・ソンミン(趙成珉)さんは、韓国の大学を卒業後すぐに巨人に入団しましたが、ひじの故障などの不運が重なり若くして引退しました。引退後は韓国野球界で指導者や解説者として活躍していましたが自殺してしまいます。この記事では、チョ・ソンミンの人生をみていきましょう。
チョ・ソンミン(趙成珉)さんは韓国の大学でアマチュア野球界のエースとして活躍し、韓国プロ野球に入ることなく日本の巨人へ入団しました。
巨人でエース級のピッチャーに成長すると期待されましたが、ひじの故障により巨人入団からたった4年で退団して韓国へ帰国します。
帰国後は韓国プロ野球での復活が期待されましたが、母国でも思うような活躍ができずに3年で引退しました。
その後、チョ・ソンミンさんは韓国野球界で解説者や指導者として活躍していましたが、2013年に突然自殺してしまいます。
日本でも自殺が衝撃的なニュースとして報じられたのは、チョ・ソンミンさんが日本でも馴染みのあった選手だったためだけではありません。
というのは、チョ・ソンミンさんの自殺前に元嫁で女優のチェ・ジンシルさんも自殺していたためです。元夫婦が離婚直後に相次ぎ自殺したことに、韓国も日本も騒然となりました。
この記事では、チョ・ソンミンさんの経歴と、元夫婦が自殺に至る要因を時系列を追ってみてきましょう。
チョ・ソンミンさんのプロフィールです。
生年月日 | 1973年4月5日 |
没年月日 | 2013年1月5日(享年39歳) |
出身地 | 韓国・ソウル特別市 |
身長・体重 | 194kg・95kg |
投打 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
経歴 | 信一高等学校 高麗大学校 1996年に巨人へ入団 2000年韓国の人気女優チェ・ジンシルと結婚 2002年オフに巨人退団 その後は一時引退し事業を起こすも失敗 2004年に親族への暴行容疑で逮捕される。チェ・ジンシルと離婚 2005年ハンファ・イーグルスと契約氏現役復帰 2007年ハンファを戦力外 2008年からは解説者や指導者として活躍 2013年1月6日に自殺 |
野球選手としてのチョ・ソンミンさんはどのような選手だったのでしょうか。
高麗大学で韓国アマチュア野球界のエースとして活躍していたチョ・ソンミンさんは、アジア大会で来日したときにテレビで見た巨人対中日戦で日本のプロ野球に強い興味を抱きました。
もともと海外志向が強かったこともあり、韓国のドラフト会議の開催前に巨人と契約金1億5,000万円、年俸1,200万円とドラフト1位並みの待遇で契約します。
プロ2年目から1軍に上がり、速球とスライダーを駆使した抑えとして活躍しました。プロ3年目からは憧れの先発も任されるようになり、将来のエース候補として期待されるようになります。
しかし、3年目に選ばれたオールスター戦でひじを故障してしまい、その後大きな活躍はできず2002年オフに退団しました。
チョ・ソンミンさんの巨人在籍中の成績は次のとおりです。
年度 | 登板 | 投球回 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 防御率 |
1997年 | 22 | 28.0 | 1 | 2 | 11 | - | 0.333 | 2.89 |
1998年 | 15 | 104.2 | 7 | 6 | 0 | - | 0.538 | 2.75 |
2000年 | 10 | 14.0 | 1 | 2 | 0 | - | 0.333 | 3.86 |
2001年 | 6 | 11.2 | 2 | 2 | 0 | 4 | 1.000 | 2.31 |
2002年オフに巨人を退団したチョ・ソンミンさんは韓国プロ野球入りを目指します。しかし、交渉はなかなかまとまらず、2003年と2004年には韓国プロ野球界へドラフト参加申込書を送りますが、全ての球団から拒否される結果となりました。
2005年には韓国で野球解説者としての仕事を得ることができ、同年5月5日にハンファ・イーグルスと契約し3年ぶりに現役復帰を遂げて8月に1軍デビューします。
ハンファでは3シーズンを戦いましたが、2007年10月に戦力外となり引退することになりました。韓国プロ野球での成績は次のとおりです。
年度 | 登板 | 投球回 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 防御率 |
2005年 | 16 | 19.1 | 2 | 2 | 0 | 4 | 0.500 | 6.52 |
2006年 | 7 | 6.2 | 1 | 2 | 0 | 0 | - | 6.75 |
2007年 | 12 | 43 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0.333 | 4.19 |
日本では大成できなかったチョ・ソンミンさんですが、韓国プロ野球界で解説者や指導者として活躍していると思われていた矢先、衝撃的なニュースが飛び込んできました。
それは、2008年10月2日に2004年に離婚した元嫁チェ・ジンシルさんが自殺してしまったことです。そして、5年後の2013年1月6日にはチョ・ソンミンさん自身も自殺してしまいました。
元夫婦が2人とも相次いで自殺した正確な原因は今でもわかっていませんが、時系列を追うことでその要因がみえてきます。2人が自殺に至るまでのできごとを追ってみましょう。
チョ・ソンミンさんは将来の巨人のエースかと期待されましたが、プロ3年目にひじを故障してしまいます。
ひじを故障した原因は、その年のオールスター戦でひじに違和感を感じて降板を申し出たものの、全セコーチだった当時の横浜の権藤監督に認められなかったためだと主張していました。
その後は、手術とリハビリに励みますが故障する以前のような投球はできず、巨人退団後も韓国プロ野球入りが難しい状態が続きます。
その後は念願のハンファ入りを果たしますが、たった3年で引退せざるをえない状況に追い込まれ、オールスター戦で負った故障の影響はチョ・ソンミンさんの野球人生に大きな影を落としました。
実は、チョ・ソンミンさんは巨人在籍中にビジネスを立ち上げています。ビジネスに必要なお金は嫁のチェ・ジンシルさんの母と弟から借りたものでした。
日本のシュークリームのフランチャイズ店と契約して韓国での事業展開を狙っていましたが、思うように売上が上がらず倒産寸前にまで追い込まれます。
嫁の母と弟から借りた借金の返済を巡っては裁判沙汰にまで発展し、チョ・ソンミンさんに日本円にして約2,000万円もの支払い命令が下りました。
巨人を退団して韓国プロ野球界で現役復帰を狙っていた2004年8月、チョ・ソンミンさんは嫁のチェ・ジンシルさんへの暴行容疑で逮捕されています。
当時、親族との金銭トラブルなどからチェ・ジンシルさんは離婚調停を申し立てて、子供を連れて別居中でした。
チョ・ソンミンさんはチェ・ジンシルさんの自宅へ押しかけて子供の親権について口論となり、妻を殴って警察へ逮捕されました。
暴行については、初犯ということで起訴猶予になりましたが、結果として離婚を求めるチェ・ジンシルさんが有利となり、翌月の2004年9月に離婚が成立します。
2人いた子供の親権も争っていましたが、親権は嫁のチェ・ジンシルさんに認められ、チョ・ソンミンさんは子供を手放すことになりました。
チョ・ソンミンさんは元嫁に日常的に暴力を振るっていたということで、離婚してチェ・ジンシルさんには穏やかな日常が戻ると思われていました。
しかし、離婚後に知人との金銭トラブルや、世間から離婚や元夫の金銭トラブルなどについての心無い誹謗中傷が重なり、心のバランスを崩してしまいます。やがてはうつ病になってしまい、睡眠薬を常用するようになったそうです。
俳優のアン・ジェファンさんへ2億円以上も貸し付けて貸金業を違法に行っているとも噂され、アン・ジェンファさんが自殺してしまったため、チェ・ジンシルさんへのバッシングはさらに苛烈になっていきました。
そして、2008年10月2日にチェ・ジンシルさんは自殺します。また、その後、実弟で俳優のチェ・ジニョンも2010年3月に自殺しています。
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