西武ライオンズの山賊打線でホームランを量産する山川穂高選手は、ピアノと書道の腕前が凄いことでも知られています。実家で教わったのでしょうか。この記事では、山川穂高選手はどのようにピアノと書道を習ったのか、演奏と字がどのくらい凄いのかみていきましょう。
西武ライオンズの打線は、エグいほどの強力打線ということで山賊打線とも呼ばれています。その西武ライオンズでホームランを量産し続けているのが山川穂高選手です。
山川穂高選手は、2014年に富士大学からドラフト2位で西武に入団すると、プロ4年目の2017年からは20本塁打を続けています。
また、2018年、2019年、2022年には40本塁打も達成している、まさに西武の山賊打線を象徴するような選手です。
しかし、山賊にふさわしくないと話題なのが、山川穂高選手のピアノと書道の腕前です。山川穂高選手がピアノを演奏する姿はこちらの動画で見てみましょう。
まさに、山賊の名にふさわしくない姿です。この記事では、山川穂高選手のピアノと書道の腕前について詳しくみていきましょう。
通常、ピアノをここまで弾けるようになるためには、子どもの頃から習っていたと思うかもしれません。しかし、山川穂高選手は小さい頃からピアノを習っていたわけではないそうです。
山川穂高選手がピアノを習い始めたのは高校3年生のときでした。高校野球を引退後に富士大学への進学も決まり、時間に余裕ができたことでピアノを習い始めたそうです。
子どもの頃からピアノに興味があったことから、大学へ進学する半年ほどの期間だけ習って、あとは独学で曲を覚えていきました。趣味でピアノを続けている理由は、気分が落ち着くためだとのことです。
山川穂高選手は自分の結婚式でもピアノを披露したそうです。結婚式でピアノを披露する姿は動画として残っていないので紹介できませんが、結婚式で結婚届にサインする姿は球場で流されたそうなので、その動画をみてみましょう。
山川穂高選手は、球団のトークショーなどのイベントなどでも、ファンの前でピアノを披露しています。
山川穂高選手はピアノだけでなく、書道も達人で字が上手いことでも知られています。山川穂高選手が書道で字を書く姿はこちらの動画で見てみましょう。
山川穂高選手の書道の段位は八段です。山川穂高選手は小学生から中学生まで書道を習っていて、八段というのは学童の部の最高位だそうです。
最高位までやり遂げる山川穂高選手の粘り強さが、野球選手としてもバッティングに生かされているのかもしれません。
山川穂高選手は小学生から中学生まで書道を習っていたそうです。書道を始めた理由は、子どもの頃に落ち着きがなかった山川穂高選手似、静かに集中することを覚えさせたくて母親が始めさせたといいます。
しかし、山川穂高選手は長い時間座っていることが苦手で、辞めたいと何度も言いました。母親は、「八段まで取ったら辞めてもいい」と言ったそうで、山川穂高選手は早く辞めたくて頑張って段位を上げていったそうです。
結局、それが現在の特技につながっているのですから、続けることは凄いことだとわかります。
ピアノと書道がとても得意な山川穂高選手ですが、実家がピアノ教室や書道教室だったのでしょうか。
親がピアノや書道の先生をしていると、子どもにも習わせることが多いのですが、山川穂高選手の実家がピアノや書道の教室だったという事実はないようです。
山川穂高選手の実家は沖縄県那覇市にあります。山川穂高選手に兄弟はなく、一人っ子で育ったようです。
母子家庭でしたが、母親は書道と野球は山川穂高選手に続けさせて、字が達筆なプロ野球選手という現在に至ります。
野球選手が指のリハビリでピアノをはじめて、そこそこの腕前になるというのはよく聞く話です。しかし、書道が上手い野球選手というのは珍しいかもしれません。
書道とピアノが上手な山川穂高選手が、これからもたくさんホームランボールに達筆な字でサインする機会が増えることに期待しましょう。