長嶋一茂の通算成績(大学・プロ野球)は?若い頃や才能についても調査!
現在、タレントとして数多くのバラエティー番組で活躍している長嶋一茂さんですが、若い頃はプロ野球選手でした。では、プロ野球選手時代の成績はどうだったのでしょうか。そこで今回は、長嶋一茂さんの大学・プロ野球選手の時の成績や才能について紹介してきます。
目次
長嶋一茂の通算成績(プロ野球)
元プロ野球選手の長嶋一茂さんは、タレント業だけではなく、スポーツキャスター・野球評論家・俳優・空手家として幅広く活躍しています。
そんな長嶋一茂さんのプロ野球での通算成績は、どうだったのでしょうか。この記事では、長嶋一茂さんの通算成績について紹介していきます。
長嶋一茂のプロ野球現役時代の通算成績
長嶋一茂さんのプロ野球現役時代は、ヤクルトスワローズの1988年~1992年までと、読売ジャイアンツの1993年~1996年までです。長嶋一茂さんのプロ野球現役時代の通算成績をみてみましょう。
年度 | 球団 | 試合数 | 打席 | 打数 | 打率 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 三振 |
1988年 | ヤクルト | 88 | 206 | 187 | .203 | 14 | 38 | 9 | 1 | 4 | 22 | 3 | 59 |
1989年 | ヤクルト | 69 | 163 | 156 | .250 | 12 | 39 | 7 | 1 | 4 | 15 | 1 | 29 |
1990年 | ヤクルト | 35 | 57 | 54 | .167 | 6 | 9 | 2 | 1 | 1 | 6 | 0 | 15 |
1991年 | ヤクルト | 67 | 172 | 149 | .221 | 12 | 33 | 8 | 2 | 4 | 18 | 1 | 44 |
1993年 | 巨人 | 56 | 153 | 134 | .216 | 12 | 29 | 6 | 1 | 1 | 12 | 3 | 42 |
1994年 | 巨人 | 46 | 32 | 29 | .172 | 5 | 5 | 1 | 0 | 1 | 1 | 0 | 7 |
1996年 | 巨人 | 23 | 60 | 56 | .143 | 4 | 8 | 2 | 0 | 3 | 8 | 0 | 19 |
通算 | 384 | 843 | 765 | .210 | 65 | 161 | 35 | 6 | 18 | 82 | 8 | 215 |
長嶋一茂の通算成績(大学時代)は?
長嶋一茂さんは、立教大学へと進学し野球部に所属して、1年生からレギュラー入りしています。では、大学時代の大学時代の通算成績はどうだったのでしょうか。次は、長嶋一茂さんの通算成績について紹介していきます。
長嶋一茂の大学時代の通算成績
長嶋一茂さんの大学時代の通算成績は、101試合・382打数・86安打・打率.225・11本塁打・54打点です。
1年生からレギュラー入りもしており、4年生の時にはキャプテンと4番を務めて活躍していました。
長嶋一茂は若い頃どんな野球選手だった?
長嶋一茂さんは、ドラフト会議でヤクルトスワローズと横浜大洋ホエールズから1位指名され、1988年ヤクルトスワローズへ入団しました。
では、若い頃はどのような野球選手だったのでしょうか。ここでは、長嶋一茂のプロ野球選手時代について紹介していきます。
野球の才能はあった?
長嶋一茂さんは父親が長嶋茂雄さんということもあり有名でしたが、プロ野球選手としての評価はあまり高くない印象を持っている人も多いようです。
では、本当に野球の才能はなかったのでしょうか。長嶋一茂さんのプロ野球現役時代はずば抜けてよい成績とはいえませんが、ある程度の結果は残しています。
それでも、父親の長嶋茂雄さんと比較されることが多く、評価が下がってしまったと考えられます。しかし、キャッチャーとして活躍していた古田敦也さんは、長嶋一茂さんの才能を認めていたようです。
「力は本当に強い。握力80kgぐらいある。首も太い。僕らよりも全然すごい体をしていて、才能はすごいんですよ。肩も強いし、足も速い。」と語っています。
長嶋一茂の才能がわかるエピソード
長嶋一茂さんは、立教大学の野球部で活躍していました。ここでは、長嶋一茂さんの才能がわかるエピソードについて紹介していきます。
立教大学時代は凄かった!
立教大学時代は1年生からレギュラーとなり、1987年の4年生の時に開催された春季リーグでは4番・キャプテンとして打率.340を記録しました。
て、ベストナインに選出され、同年の秋季リーグでは、4本塁打・16打点を出し、ここでもベストナインに選出されています。
また、日米大学野球選手権大会では日本代表にも選出されました。そして、通算101試合・382打数・86安打・打率.225・11本塁打・54打点を記録し、1987年のアジア野球選手権大会の代表にも選出されています。