山崎ベリアさんは横浜DeNAで活躍する山崎康晃投手の母です。2021年10月に山崎ベリアさんは亡くなりましたが死因は何だったのでしょうか。この記事では、山崎康晃投手の母や、その他の父と姉の家族についても詳しくみていきましょう。
山崎康晃投手は、横浜DeNAベイスターズのセットアッパーとして大きな活躍を見せています。山崎康晃投手はハーフで、母の山崎ベリアさんはフィリピン出身です。
この記事では、ハーフである山崎康晃投手のフィリピン出身の母、山崎ベリアさんや姉や父について詳しくみていきましょう。
山崎康晃投手のプロフィールです。
生年月日 | 1992年10月2日 |
出身地 | 東京都荒川区 |
身長・体重 | 179cm・88kg |
投打 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
成績・タイトル | プロ通算7年 389投球回16勝22敗170セーブ71ホールド 防御率2.80 最多セーブ投手2回 |
経歴 | 近所に住んでいて家族ぐるみの付き合いのあった森本稀哲の影響で小学2年生で野球を始める 帝京高校では2年生夏と3年生春に甲子園に出場 亜細亜大学にスポーツ推薦で進学 2014年秋のドラフト会議で横浜DeNAと阪神から外れ1位指名 2015年横浜DeNA入団 |
山崎康晃投手の母である山崎ベリアさんとはどのような人だったのでしょうか。山崎ベリアさんについてみていきましょう。
フィリピン出身の山崎べリアさんが日本へやってきたのは19歳の時だったそうです。フィリピンの首都マニラに近いパテロスという街の出身で、日本語の勉強をするために来日しました。
19歳の時に来日した山崎べリアさんでしたが、来日した翌年には結婚して山崎康晃投手の姉を出産しています。そして、姉が生まれた2年後に山崎康晃投手が生まれました。
20代前半で異国の地、日本で結婚して2人の子どもを出産した山崎ベリアさんでした。しかし、山崎康晃投手が小学校3年生の時に子どもたちの父親と離婚します。
子どもたちは2人とも母である山崎ベリアさんが引き取ることになりました。離婚後は山崎べリアさんは子どもを連れて故郷のフィリピンへ帰ることも検討したそうですが、離婚する前年に野球を始めた山崎康晃投手に日本で野球を続けたいといわれて日本に残る決心をしたそうです。
しかし、シングルマザーで2人の子供を育てるのはとても大変なことでした。山崎べリアさんは朝早くから夜遅くまで、工場や飲食店を掛け持ちして、寝る間も惜しんで働いたそうです。
山崎康晃投手が母にあてた感謝の手紙が公開されています。そんな風に苦労して自分たちを育ててくれた母の姿を、姉とともにいつもみていたのでしょう。
とても苦労して2人の子供を育て上げ、長男の山崎康晃投手は日本のプロ野球界を代表するセットアッパーになりました。
プロ野球で活躍する息子の姿を姉と一緒にスタンドで応援していたのは、母の山崎べリアさんです。
しかし、山崎べリアさんは、2021年10月に51歳という若さでこの世を去りました。2021年10月30日、横浜DeNAが山崎康晃投手の母の死を発表しています。
母の山崎べリアさんの死因が気になっている人が多いようですが、死因については公表されていません。公表しないのは遺族の意向だそうです。
事故や事件であれば警察からの発表や報道があると思われますが、山崎べリアさんにかんする事件や事故の報道はありませんでした。
母の死の少し前から山崎康晃投手の調子が悪かったようなので、母が病気になり大変だったのかもしれません。
いずれにせよ、死因や原因となった病気を公表しないのは遺族の意向ということなので、あまり詮索しないほうがいいでしょう。
山崎康晃投手の母、山崎べリアさん以外の家族についてもみておきましょう。
山崎康晃投手の父親がどのような人なのか、情報は一切ありません。離婚前は家庭をほとんど顧みなかったそうです。現在、子どもたちと交流があるのかどうかもわかりません。
山崎康晃投手の姉は山崎麻美さんです。山崎麻美さんは、山崎康晃投手の姉であることを明かしてTwitterアカウントを開設しています。
ツイートは弟の活躍ぶりを応援するものばかりで、弟や母親思いの心優しい女性です。姉の山崎麻美さんは本名でTwitterをやっていますが、一般人なので職業などは公開されていません。
山崎康晃投手の母の山崎べリアさんは51歳という若さで亡くなってしまいました。山崎康晃投手の母亡き後の活躍ぶりも生きて見たかったことでしょう。
ぜひ、山崎康晃投手には天国のお母さんのためにも、さらなる活躍を期待したいところです。