中田翔の大阪桐蔭高校時代の伝説とは?怪物と呼ばれた中学時代も
巨人で活躍中の中田翔選手は中学時代、大阪桐蔭高校時代からさまざまな伝説を作り「怪物」と呼ばれることもありました。この記事では、中田翔選手の大阪桐蔭高校時代の成績や中学時代と高校時代に作り出した伝説についてみていきましょう。
目次
中田翔は大阪桐蔭高校出身!
現在は巨人で活躍している中田翔選手は、中学時代・高校時代からとてつもない野球の才能をみせる選手でした。この記事では、特に中田翔選手の大阪桐蔭高校時代について迫ってみましょう。
大阪桐蔭高校について
中田翔選手は、大阪府大東市にある大阪桐蔭高校出身です。大阪桐蔭高校は、大阪市にある大阪産業大学高校、現在の大阪産業大付属高校の臨時分校として1983年に設立されました。
設立当初は大阪産業大学高等学校大東校舎として設置され、1988年に正式に大阪桐蔭高校として認可されます。
同じく関東の高校野球の強豪校である、神奈川県横浜市にある桐蔭学園高校と同じ校名であることから、兄弟校と思われることも多いようです。
しかし、大阪桐蔭高校は学校法人大阪産業大学が母体ですが、横浜の桐蔭学園高校は学校法人桐蔭学園が母体です。
運営母体も全く異なり資本関係にもないことから、大阪桐蔭高校と桐蔭学園高校につながりはありません。
大阪桐蔭高校名物のヒロコの坂道ダッシュとは?
大阪桐蔭高校では、正式に独立した高校となった1988年に体育コースが設けられ、野球部も設立されました。
大阪桐蔭高校野球部の伝統的な練習メニューに「ヒロコの坂道ダッシュ」があります。「ヒロコ」とは、人の名前ではなく、「疲労骨折」を略したことばです。
大阪桐蔭高校のすぐ近くには生駒山があります。生駒山の坂道を何本もダッシュするのが大阪桐蔭高校野球部の伝統的な練習です。坂道ダッシュのやり過ぎで多くの生徒が脛を疲労骨折することから、この練習方法は「ヒロコの坂道ダッシュ」と呼ばれています。
中田翔選手も高校時代にはヒロコの坂道ダッシュを何本も苦しみながら走ったことが、プロになってからの成長につながったそうです。
中田翔の大阪桐蔭高校時代の成績について
〇あのプロ野球選手の高校時代〇
— あぁ青春の高校野球 夏の甲子園! (@kokoyakyu4916na) December 29, 2022
中田翔 (大阪桐蔭)
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中田翔選手の大阪桐蔭高校時代の成績についてみていきましょう。
1年生のときの成績
高校1年生のときには、夏から5番一塁手でレギュラーをつかみました。夏の甲子園にも出場しており、大阪桐蔭高校ベスト4入に貢献しています。
秋からは4番でエースとなりました。投手としての球速も147kmをマークしています。
2年生のときの成績
2年生のときには、春に球速を151kmまで伸ばしました。しかし肩の故障で投手としての出番は少なくなりました。しかし、打者としてはその才能を存分に開花させて、4番ライトとして出場した夏には大阪大会新記録となる4試合連続本塁打を記録しています。
夏の甲子園では推定飛距離140m、秋季近畿大会準決勝では推定飛距離170mの超特大弾を放っています。
3年生のときの成績
3年生では投手として復活して、4番エースとして活躍しました。7月6日の練習試合で当時の高校記録である通算87本塁打を記録しています。
しかし、夏の甲子園の大阪府予選の決勝で金光大阪高校対して、投手として3失点、打者として5打数無安打で負けました。高校最後の夏の甲子園は叶いませんでした。
中田翔が学生時代に作った怪物伝説とは?
中田翔選手は140m、170mの超特大本塁打を打った高校2年生から怪物と呼ばれるようになりました。しかし、それ以前から怪物の片鱗を見せる伝説を作っていたようです。中学時代から大阪桐蔭高校時代にかけて中田翔選手が作り上げた伝説を紹介します。
中学時代の神社破壊伝説
中田翔選手は中学時代には広島鯉城リトルシニアに所属していました。中学に入学した直後に公式戦に出場した中田翔選手は4打席連続で場外ホームランを放ちました。
そのうちの1本が球場の奥にあった神社を直撃して壊してしまい、後で弁償を請求されたとのことです。このときの推定飛距離は140mとも170mともいわれています。
高校入学直後の140m特大ホームラン
中田翔選手は大阪桐蔭高校に入学直後に練習試合で140mの特大ホームランを放ったという伝説もあります。
すでに甲子園出場も果たし、大阪の強豪校として実力のある選手が集まっていましたが、その中でも特にその才能が光っていたそうです。
中田翔選手はあまりにも飛ばしすぎるということで、打撃練習をするときには球場の外にも守備が置かれていました。
高校入学直後の140km投球
高校でレギュラーを狙える投手の中学卒業時の平均球速は120km程度といわれています。しかし、高校入学直前の中田翔選手はいきなり140kmの球速を投げて先輩たちを圧倒したそうです。
しかも、そのときには中学の制服に革靴という野球をするのには動きにくい服装でした。その服装でも軽々と140kmを出してしまう中田翔選手の姿を見た高校の先輩たちは、即レギュラーだと確信したそうです。
中田翔は高校時代からすごかった!
中田翔選手は今でもすごいプレーを見せてくれますが、中学時代、高校時代からすごい選手であったことがわかります。すでにベテランの域に入ってきた中田翔選手ですが、今後もできる限り長く私達にスーパープレーを見せてほしいものです。