堂安律の出身高校や偏差値は?中学・小学校など学歴を調査!

堂安律選手は、現在のサッカー日本代表にて中核を担っている重要な選手です。確かな技術と強烈な左足のシュートを武器としており、高校時代から名の知れた選手でした。今回はその堂安律選手の出身高校の偏差値や、在籍していた中学校・小学校などの学歴を紹介します。

堂安律の出身高校や偏差値は?中学・小学校など学歴を調査!のイメージ

目次

  1. 1堂安律の出身高校とは?
  2. 入学は偏差値が高い追手門学院高等学校
  3. 卒業はガンバ大阪と繋がりがある向陽台高等学校
  4. ガンバ大阪のユースチームに所属していた
  5. 2堂安律の高校入学前の学歴とは
  6. 小学校は尼崎市立浦風小学校
  7. 中学校は尼崎市立小田南中学校
  8. 3堂安律の高校卒業後とは?
  9. ガンバ大阪
  10. FCフローニンゲン
  11. PSVアイントホーフェン
  12. アルミニア・ビーレフェルト
  13. PSVアイントホーフェン復帰
  14. SCフライブルク
  15. 4向陽台高等学校を卒業した堂安律とは?
  16. 堂安律選手のプロフィール
  17. 堂安律選手の家族構成
  18. 5堂安律の出身高校は向陽台高等学校だった

堂安律の出身高校とは?

堂安律選手の出身高校はどこなのでしょうか。まずは堂安律選手が18歳までの3年間を過ごした高校について紹介します。

入学は偏差値が高い追手門学院高等学校

堂安律選手の出身高校は、追手門学院高等学校です。

大阪府の茨市に所在している追手門学院高等学校は、偏差値が58を超える優秀な新学校として知られています。高校時代から堂安律選手は、サッカーのみならず勉強にもしっかり励んで文武両道だったようです。

しかし、堂安律選手は選手活動が忙しくなるにつれて通うことが困難になり、後に紹介する通信制の学校への転校を余儀なくされました。

卒業はガンバ大阪と繋がりがある向陽台高等学校

追手門学院高等学校から堂安律選手が転校したのは、通信制の高校である向陽台高等学校です。

堂安律選手は、高校2年生の時から二種選手としてガンバ大阪に登録されており、その後はACLメンバーに選出されるなど、高校時代からかなり多忙な毎日を過ごしていました。

年代別の日本代表の活動にも参加していたため普通の高校に通うことは難しく、通信制でありガンバ大阪と提携している向陽台高等学校への編入を決めたそうです。

ガンバ大阪のユースチームに所属していた

ユース時代から将来を嘱望されていた堂安律選手は、前述したように高校2年生の時からガンバ大阪のトップチームに登録されていました。ユースチームでは絶対的な存在で、年代別日本代表にも選出されています。

2015年5月27日におこなわれたACLのFCソウル戦に出場したことで、宇佐美貴史選手に次ぐクラブ史上2番目となる16歳344日でのプロデビューを飾りました。

堂安律の高校入学前の学歴とは

出身高校については紹介しましたが、高校に入学する前の出身校はどこなのでしょうか。ここからは小学校と中学校時代についてもみていきましょう。

小学校は尼崎市立浦風小学校

堂安律選手の出身小学校は尼崎市立浦風小学校です。地元が尼崎市なので、自宅から最も近い小学校に通っていたのではないでしょうか。

小学校時代から天才少年として大勢の大人を虜にしてきた堂安律選手ですが、小学4年生時にある大きな挫折を経験します。

それは、セレッソ大阪のセレクションに不合格となったことでした。当時から負けん気の強かった堂安律選手は、この落選をバネに更にサッカーに打ち込みます。

そして、小学校卒業時に自身を不合格にしたセレッソ大阪からオファーを受けますが、そのオファーを拒否してライバルチームであるガンバ大阪に加入することを決意しました。

この逸話から、堂安律選手は小学生の頃から非常に負けず嫌いで強気な性格だったといわれています。

中学校は尼崎市立小田南中学校

中学生になると同時にガンバ大阪のジュニアユースに加入した堂安律選手が通っていた中学校は尼崎市立小田南中学校です。

小学校同様に堂安律選手の地元の公立中学校ですが、2016年に尼崎市立若草中学校と統合したことで今は廃校となっています。

中学時代は過去に家長昭博選手や宇佐美貴史選手などを育てた厳しい指導者に揉まれながらも徐々に頭角を表すと、2012年にはU-15の世代で見事全国大会3冠を達成しました。

そして、ジュニアユースで頭抜きん出た存在だった堂安律選手はその結果を買われ、ガンバ大阪ユースへの昇格を勝ち取っています。

堂安律の高校卒業後とは?

高校2年生で既にプロデビューを果たしていた堂安律選手ですが、その後はどのような道を歩んでいったのでしょうか。ここからは高校卒業後の堂安律選手について詳しく追っていきます。

ガンバ大阪

ジュニアユース、ユースを経てガンバ大阪のトップチームに昇格した堂安律選手は、19歳になる2017年のシーズンまでガンバ大阪に在籍していました。

2016年までは、セカンドチームとなるガンバ大阪U-23での出場が主となっていましたが、年代別日本代表やガンバ大阪U-23での活躍が評価されて、2017年はトップチームに定着します。

そして、2017年6月23日に19歳の若さでオランダのFCフローニンゲンへの移籍が決定したことで、中学時代から在籍したガンバ大阪を退団、海外へと挑戦の場を移しました。

FCフローニンゲン

海外初挑戦となったオランダのFCフローニンゲンでは、移籍初年度から主力として活躍して29試合に出場し9得点の結果を残しています。

加入当初は1年間のレンタル移籍でしたが、翌年からは完全移籍でFCフローニンゲンに加入すると前年に続き高いパフォーマンスを披露し、32試合6ゴールの成績でチームを牽引しました。

20歳の日本人選手の大活躍はオランダ中のスカウトから視線を集め、シーズン後にはオランダ屈指の強豪であるPSVアイントホーフェンからのオファーを受け、ステップアップを成功させました。

PSVアイントホーフェン

クラブ史上初の日本人選手となったPSVアイントホーフェンには、2019年から2022年までの3年間にわたって在籍しました。

しかし、加入1年目は期待された活躍を見せることができず、19試合2得点の成績でシーズンを終えました。

そして堂安律選手は、2年目を迎える前にドイツ1部のアレミニア・ビーレフェルトへレンタル移籍で放出されてしまいます。

アルミニア・ビーレフェルト

2020年からの1シーズンをドイツのアルミニア・ビーレフェルトで過ごした堂安律選手ですが、昨シーズンの不調を払拭する活躍を見せています。

シーズン通じてリーグ戦全試合となる34試合に出場し5ゴールを記録、また最終戦のシュトゥットガルト戦では残留争いに巻き込まれていたチームを救う起死回生の2得点を決めました。

大事な場面での勝負強さが光ったシーズンでもあり、アレミニア・ビーレフェルトでの成績を評価したPSVアイントホーフェンは、翌年から再び堂安律選手をチームに復帰させています。

PSVアイントホーフェン復帰

アレミニア・ビーレフェルトでの活躍を経て復帰したPSVアイントホーフェンでは、1年間で29試合に出場し10得点を決める好成績を収めています。

また、念願だったヨーロッパリーグデビューも果たしており、リーグ戦の優勝は逃したものの、国内カップ戦では日本人初となるオランダ国内カップ優勝を経験しました。

SCフライブルク

2022年からは再びドイツ1部へと戦いの場を移し、SCフライブルクへと加入しています。

年間通じて38試合出場6得点を記録しただけではなく、ヨーロッパリーグのプレーオフでは2点差から逆転劇を演出する活躍を見せて、決勝トーナメント進出に貢献しました。

まさに堂安律選手らしい、大一番での勝負強さを発揮し続けており、ファンからの人気も高い選手として愛されています。

向陽台高等学校を卒業した堂安律とは?

最後に本記事で紹介した堂安律選手のプロフィールや家族構成をみていきましょう。

堂安律選手のプロフィール

本名:堂安 律(どうあん りつ)
愛称:リツ
生年月日:1998年6月16日
現在年齢:25歳
出身地:大阪府尼崎市
血液型:A
身長:173センチ
体重:70キロ
所属球団:SCフライブルク(ドイツ1部)
主な成績:東京五輪2020、FIFAカタールW杯2022

堂安律選手の家族構成

堂安律選手の家族構成は父、母、二人の兄の5人構成です。

父は建設会社、母は介護施設とそれぞれ別の会社を経営しており、堂安律選手はエリートとも呼べる両親の末っ子として生まれました。

二人の兄もサッカーをしており、長男は大学サッカーまで、そして次男はJ3の長野パルセイロでプロになるほどの実力者です。堂安律選手にとって二人の兄は幼少期からのライバルで、早く越えられるように日々練習していたといいます。

堂安律選手を世界的な選手に育て上げたのは、意外にも身近な存在だった二人の兄なのかもしれません。

堂安律の出身高校は向陽台高等学校だった

今回は、堂安律選手の出身高校や偏差値、これまでの学歴などを詳しく紹介しました。

サッカーだけでなく、まさに文武両道だった堂安律選手だからこそ、海外でも成功を収めることができたのではないでしょうか。世界を舞台に戦う堂安律選手の今後の更なる活躍に期待しましょう。

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この記事のライター
ikeda