本田圭佑選手は日本代表のスター選手として、多くのサッカーファンに愛されています。その本田圭佑選手が出身が星稜高校だということを知らない人もいるかもしれません。本記事では、本田圭佑選手の出身高校や大学に通ったかどうかなどについて詳しく紹介します。
本田圭佑選手の出身校は石川県の星稜高校です。ここからはその星稜高校について詳しく見ていきます。
本田圭佑選手が高校3年間通っていた石川県の星稜高校は、県内でも屈指のマンモス校として知られています。生徒数約1600人を誇っており、サッカー部のみならず硬式野球などの部活動の名門校として名を馳せている高校です。
本田圭佑選手は、多くのスポーツ部員が所属するスポーツ学部、通称Pコースに在籍していました。当時のPコースの偏差値は50で、文武両道を目指す学部だともいえるのではないでしょうか。
本田圭佑選手はユースチームではなく、星稜高校サッカー部に所属していました。
当時の本田圭佑選手は大阪から星稜高校に進学したこともあり、寮生活を送りながらサッカーに打ち込む生活を続けていました。
「絶対にプロになる」という強い覚悟と共に、本田圭佑選手は1年生の時からレギュラーとして活躍しています。3年生時にはキャプテンとなって全国高校選手権にも出場し、ベスト4の成績を収めました。
星稜高校に通う前の本田圭佑選手は、どこの小学校や中学校に在学していたのでしょうか。次からは本田圭佑選手の小学校、中学校時代について触れていきます。
本田圭佑選手は大阪府の摂津市立鵜飼北小学校に通っていました。小学校時代のエピソードについて、自身が2年生の時に両親が離婚して父親についていきましたが、仕事が多忙だったため祖父母がよく面倒をみてくれていたと語っています。
かなり厳しく育てられており、当時はかなり反発していたそうですが、親元を離れて星稜高校に進学した時になって、それが愛情の裏返しであったことに気が付いたそうです。
小学生の頃から活発な子供だった本田圭佑選手は、サッカー以外にも野球も習っていたそうです。ただ、当時からプロサッカー選手になることを夢見て、卒業文集にも将来はイタリアで活躍すると具体的に書き記していました。
本田圭佑選手は小学校を卒業後、そのまま地元の摂津市立第四中学校に進学しています。中学校では部活ではなく、ガンバ大阪のジュニアユースに所属してプロを目指していましたが、中学校卒業時に戦力外通告を受けておりユースには昇格していません。
当時の本田圭佑選手は身体が細くて足が遅く、ジュニアユースでの評価はかなり低かったと語っています。
星稜高校への進学を希望したのは、誰も自分のことを知らない環境でやりたかったからだとも明かしており、当時の挫折を反骨心にしていたようです。
本田圭佑選手は星稜高校を卒業後、大学へは進学したのでしょうか。次は高校卒業後の本田圭佑選手について紹介していきます。
本田圭佑選手は高校卒業と同時にJリーグの名古屋グランパスでプロデビューしており、大学には進学していません。
デビュー1年目からポテンシャルの高さを垣間見せると、翌年からはチームの主力選手として活躍し始めます。その活躍が評価されて、プロデビューから3年目でオランダのVVVフェンローへの移籍を勝ち取りました。
オランダでの挑戦は自身初の2部リーグ降格などの挫折を味わないがらも、徐々に得点能力を開花させていくと、2010年に開催された南アフリカW杯で本田圭佑選手は2ゴールの活躍をみせて一気に脚光を浴びました。
南アフリカW杯後はロシアの名門CSKAモスクワへと移籍を果たし、加入直後には念願だったチャンピオンズリーグで得意のFKから得点を決めています。
高卒でプロ入りを果たした本田圭佑選手は、どのような方と結婚したのでしょうか。最後は本田圭佑選手の結婚相手について紹介していきます。
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