畠山和洋の現在や嫁は?怪我して引退後はヤクルトのコーチに!パチンコ好き?
元ヤクルトの畠山和洋さんは、現在ヤクルトのコーチをしているというのは本当なのでしょうか。この記事では、畠山和洋さんのプロフィールや嫁の美里さんとはどのような人なのか、パチンコ好きという噂は本当かなどを詳しくみていきましょう。
目次
元ヤクルト・畠山和洋プロフィール
ヤクルト一筋19年で、高校卒業後から長くヤクルトの選手として活躍し続けていた畠山和洋さんは、2019年シーズン終了後に惜しまれながらも引退しました。
パチンコ好きという噂もありますが、引退後は何をしているのでしょうか。この記事では、ヤクルトを引退した畠山和洋さんについて詳しくみていきましょう。
まずはプロフィールです。
生年月日 | 1982年9月13日 |
出身地 | 岩手県花巻市 |
身長・体重 | 180cm・112kg |
投打 | 右投右打 |
ポジション | 一塁手・左翼手・三塁手 |
生涯成績・タイトル | 2004-2019プロ通算16年 4019打数937安打128本塁打 打率0.266 打点王1回・ベストナイン1回・ゴールデングラブ賞2回 |
経歴 | 小学4年生のときに地元の少年団野球チームに加入 小学生の時には野球以外にもバスケットボールなど他のスポーツも楽しむ 中学校では軟式野球部に所属 専修大学北上高校では1年生からレギュラーの3塁手に定着 2000年秋のドラフト会議でヤクルトから5位指名 2001年ヤクルトスワローズに入団 2019年シーズンをもって現役引退 2020年からヤクルト2軍打撃コーチに就任 |
畠山和洋さんは小学生の時に野球を始めましたが、当時は野球だけでなくバスケットボールなどもやっていたようです。中学校にバスケ部がなかったことから、野球に専念することにしました。
中学生の時からずば抜けた長打力を見せていて、3年生のときには県大会で優勝もしています。しかし、フォームの指導を受けたことはなく我流のフォームだったとのことです。
高校は兄がエースだった専大北上高校へ進学し、打撃フォームも修正して、高校3年生でのドラフト指名を勝ち取りました。
野球選手としての人物像
畠山和洋さんの野球選手としての人物像はどのような感じだったのでしょうか。
練習嫌いで怪我が多い選手だった
高校生の時には甲子園で1試合に6安打の活躍を見せてプロ入りした畠山和洋さんでしたが、プロ野球選手としてヤクルトに入団してからは、とにかく練習嫌いな選手として有名でした。
とにかく練習をサボスことしか頭になく、1時間の練習を命じられたら10分間だけ練習して50分は風呂に入っている、そういう選手でした。コーチもこの練習嫌いには手を焼くことが多く、思わず手を上げてしまう人もいたようです。
練習不足から怪我も多く、ヤクルト入団後も1軍へ上がれない時期が長く続きました。
「恵体糞打」から「恵体豪打」へ!
入団4年目の2004年から時々1軍で起用されることが増えてきましたが、1軍の試合に出ても大した成績が出せないことから、「恵体糞打」と呼ばれることもありました。恵まれた体(恵体)を持ちながら、糞みたいな打撃しか打てないということです。
しかし、2008年に他の選手の不調で1軍に定着すると、プロ入り後初の規定打席に到達しました。2011年には4番に座ることも増えて、持ち前の長打力を発揮するようにもなっていき、「恵体豪打」と呼ばれるまでに成長しました。
その長打力の才能が開花した2012年のホームラン全集です。
年俸推移
畠山和洋さんの年俸推移です。
年 | 所属球団 | 年俸 |
2001年 | ヤクルト | 440万円 |
2002年 | ヤクルト | 560万円 |
2003年 | ヤクルト | 660万円 |
2004年 | ヤクルト | 580万円 |
2005年 | ヤクルト | 610万円 |
2006年 | ヤクルト | 700万円 |
2007年 | ヤクルト | 700万円 |
2008年 | ヤクルト | 900万円 |
2009年 | ヤクルト | 3,200万円 |
2010年 | ヤクルト | 2,800万円 |
2011年 | ヤクルト | 4,100万円 |
2012年 | ヤクルト | 9,700万円 |
2013年 | ヤクルト | 8,500万円 |
2014年 | ヤクルト | 6,400万円 |
2015年 | ヤクルト | 9,000万円 |
2016年 | ヤクルト | 1億3,000万円 |
2017年 | ヤクルト | 1億3,000万円 |
2018年 | ヤクルト | 1億1,000万円 |
2019年 | ヤクルト | 4,000万円 |
畠山和洋の引退後の現在は?
畠山和洋さんは2019年シーズンは一度も1軍登録がないまま、シーズン終了後に現役を引退しました。現役を引退するときには、指導者になりたいと言っていたようですが、その後、ヤクルトから2軍打撃コーチへの就任が発表されています。
コーチに就任したときのインタビューでは、選手に厳しいことをいうよりも、やりやすい環境を作りながら、根気強く指導していきたいということを語っていました。
現在、2軍のグラウンドで献身的に動き回る畠山和洋さんの姿を目にしたヤクルトファンからは、いずれ1軍のコーチに抜擢してほしいという声も上がっているようです。
畠山和洋に家族はいるの?
畠山和洋さんの家族についてみていきましょう。
嫁の美里と2009年に結婚
畠山和洋さんは2009年に嫁の美里さんと結婚しています。美里さんは旧姓を柿田美里さんといいモデルをしていた方です。嫁の美里さんは元モデルということで、身長は171cmもあり、身長180cmの畠山和洋さんと並んでもそれほど違いがないようです。
気になる2人の馴れ初めは、2008年頃に出会ったことはわかっていますが、どこでどのように知り合ったのかは全く不明です。出会ってすぐに交際を初めて、交際開始から1年ほどでゴールインしています。
畠山和洋さんの現役最後の打席に入ったときの動画で客席で映っているのが嫁の美里さんです。2分15秒過ぎあたりで映っています。
子供は2人
畠山和洋さんと嫁の美里さんとの間には子供が2人います。1人目は2013年に、2人目が2015年に誕生しています。
現役最後の打席で、嫁の美里さんと一緒にいる男の子が長男でしょう。下の子供の性別はわかりません。
畠山和洋はパチンコ好きって本当?
畠山和洋さんはパチンコ好きだと言われていますが、実際のところはどうなのでしょうか。畠山和洋さんのパチンコ好きは確かなようです。畠山和洋さんは練習嫌いだったと前述しましたが、練習をサボってパチンコへ行くこともあったといいます。
畠山和洋さんがパチンコを覚えてしまったのは高校生の時で、パチンコを打ちながらタバコを吸うようなことも高校生の時からあったようです。
そんな畠山和洋さんの練習態度には多くのコーチが手を焼いてきたようですが、嫁の美里さんとの関係にもパチンコが原因でヒビが入ることもありました。
パチンコが原因で離婚するまでには至りませんでしたが、依存症とまで言われたパチンコ好きはコーチになった現在は治ったのでしょうか。
パチンコに行っていた時間を練習やトレーニングに充てたら、怪我に苦労することもなく、1,500本安打、2,000本安打も夢ではなかったとも言われています。しかし、コーチに手を焼かせる選手の気持ちがよくわかるという面では、もしかしたら2軍コーチとして最適なのかもしれません。
畠山和洋の今後の指導力に期待しよう!
従来、どのような分野でも指導者になるのは真面目に実績を積み上げてきた人が多いものです。その点、長距離砲としての実績はあるものの、練習嫌いでパチンコ好きという畠山和洋さんは、指導者としては面白いものがあります。
今後、若い選手たちにどのように指導をしていくのか、畠山和洋さんの指導を受けた若きツバメたちがどのような才能を発揮していくのか、楽しみにしていきましょう。