川崎宗則(ムネリン)の病気は?なぜ引退した?現在や嫁・子供を調査!
川崎宗則(ムネリン)選手はソフトバンクを引退しましたが、なぜなのでしょうか。病気という噂もあるので、現在の様子が気になるファンも多いのでしょう。この記事では、川崎宗則選手がなぜ引退したのか、病気、現在の様子を紹介します。
目次
川崎宗則(ムネリン)の現在は?
2018年のシーズンが始まる前に、あやふやな形でソフトバンクを引退してしまったムネリンこと川崎宗則選手は、現在の様子が気になるファンも多いかもしれません。なぜソフトバンクを引退してしまったのでしょうか。
この記事では、川崎宗則選手の現在と、病気の噂の真相、なぜソフトバンクを引退したのか詳しくみていきます。
2020年から栃木ゴールデンブレーブスに選手として所属
まず、2018年シーズン前にソフトバンクで一度引退した川崎宗則選手の現在についてみていきましょう。
2017年3月にカブスを自由契約となった川崎宗則選手は、古巣のソフトバンクへ復帰します。ソフトバンクでは1軍の試合にも出場したものの、怪我での離脱によって、ポストシーズンには出場しませんでした。
その後、球団側は再契約を求めていましたが、病気などを理由に川崎宗則選手側から契約せずに引退する意向を固めました。
その後は2019年に台湾のプロ野球リーグに復帰した味全ドラゴンズのコーチに就任し、選手としても出場しています。
2020年も台湾野球界で選手として活動する予定でしたが、新型コロナウイルスの影響で海外渡航ができなくなりました。
その結果、2020年9月に独立リーグの栃木ゴールデンブレーブスと契約し、現在まで選手として活躍しています。
解説者やユーチューバーとしても活躍中!
栃木ゴールデンブレーブスで選手として活躍する他にも、川崎宗則選手は2021年にYouTubeチャンネルの「宗チャンネル」を解説して、現在はユーチューバーとしても活動を始めました。
また、テレビ東京やフジテレビなどでMLBの解説者としても活躍しています。
テレビに解説者として登場すると、「解説がわかりやすい」「声が聞き取りやすい」と視聴者からの評価も高いです。
今後は、独立リーグでNPB復帰を目指しながら、メディアでの活躍も模索していくのではないでしょうか。
川崎宗則はなぜソフトバンクを退団した?病気だったの?
多くのファンが疑問に思っているのが、なぜ川崎宗則選手はソフトバンクを引退したのか、という点です。2017年シーズンはあまり試合には出場できませんでしたが、球団側は引き続き契約する意向でした。
しかし、契約更改の場に川崎宗則選手が現れなかったり、病気だという情報が流れたりして、なぜ、引退したのか、疑問の声がファンの間から上がっています。川崎宗則選手はなぜ引退したのか、病気というのは本当なのかみていきましょう。
退団理由は自律神経系の病気
川崎宗則選手がソフトバンクで引退することを決めた理由は、自律神経系の病気を患ってしまったためです。病気の名前は公表されていませんが、自律神経系の病気はストレスで引き起こされると言われています。
明るいキャラクターで周囲を盛り上げる川崎宗則選手も、かなり無理をしていたところがあったようで、大きなプレッシャーが病気の引き金になってしまったとのことです。
契約更改の場に現れなかったのも、心身ともに限界が来て体が動かなくなり、野球を一切やりたくないを思ったことが理由です。
一度引退したがその後現役復帰
ソフトバンクを引退したあと、川崎宗則選手は3年ほど休養してから、台湾の味全で野球を再開し、現在は独立リーグでプレーしています。
しかし、病気が完全に治ったわけではなく、上手に付き合いながら野球や解説者などの仕事もこなしているようです。
川崎宗則の家族について
川崎宗則選手の家族についてもみておきましょう。
嫁とは2011年に結婚
川崎宗則選手は2011年に一般の女性との結婚を発表しています。福岡市内在住の女性が嫁だとのことです。プロ入りしてからずっと福岡が本拠地だった川崎宗則選手なので、嫁とはお互いの生活圏の中で知り合ったのでしょう。
離婚の噂の真相は?
川崎宗則選手が離婚したという噂が流れたことがありました。川崎宗則選手が離婚したという事実はなく、離婚の噂はデマです。
子供は2人
川崎宗則選手と嫁との間には子供が2人います。長男は2013年に、長女は2016年に誕生しました。ムネリンはとても子煩悩で、周囲に子供のことをよく話すそうです。
川崎宗則とイチローの関係について
川崎宗則選手といえば、イチローさんとの関係が注目されます。川崎宗則選手は高校時代には俊足でヒットを量産していたことから、薩摩のイチローという意味で「サツロー」と呼ばれていました。
川崎宗則選手も尊敬する選手としてイチローさんを挙げていて、イチローさん自身から「イチローマニア」と認定されるほどの熱烈なファンです。
川崎宗則選手は背番号52のことが多かったのですが、イチローさんの代名詞である背番号51の次の番号ということで、ムネリンが自ら希望して選んでいました。
FA移籍するときには、希望球団はマリナーズのみでしたが、その理由は当時イチローさんが在籍しているというものだったのです。
川崎宗則のプロフィール
最後に川崎宗則選手がどのような野球選手なのかみておきましょう。
プロフィール
ムネリンのプロフィールです。
生年月日 | 1981年6月3日 |
出身地 | 鹿児島県姶良郡姶良町(現在は姶良市) |
身長・体重 | 180cm・75kg |
投打 | 右投左打 |
ポジション | 遊撃手・二塁手・三塁手 |
成績・タイトル | NPB通算12年:4710打数1376安打27本塁打 打率0.292 盗塁王1回、最多安打1回、ベストナイン2回、ゴールデングラブ賞2回 MLB通算5年:633打数150安打1本塁打 打率0.237 |
経歴 | スポーツ少年団の軟式・重富少年野球クラブで野球を始める 鹿児島工業高校では俊足で安打を量産 1999年秋のドラフト会議でダイエーから4位指名 2000年福岡ダイエーホークス(現在のソフトバンク)に入団 2012年海外FA権を行使してシアトル・マリナーズへ移籍 2013年ブルージェイズへ移籍 2016年カブスへ移籍 2017年ソフトバンクへ復帰 2018年ソフトバンクと契約せずに引退 2019年台湾の味全のコーチに就任し選手としても試合に出場 2020年独立リーグの栃木ゴールデンブレーブスへ入団 現在まで栃木でプレーしながらユーチューバーや解説者としても活躍中 |
年俸推移
ムネリンの年俸推移です。日本のプロ野球に在籍時の年俸です。
年 | 年齢 | 所属球団 | 年俸 |
1999年 | 18歳 | ダイエー | 年俸600万円・契約金4,000万円 |
2000年 | 19歳 | ソフトバンク | 600万円 |
2001年 | 20歳 | ソフトバンク | 600万円 |
2002年 | 21歳 | ソフトバンク | 650万円 |
2003年 | 22歳 | ソフトバンク | 1,300万円 |
2004年 | 23歳 | ソフトバンク | 4,500万円 |
2005年 | 24歳 | ソフトバンク | 9,000万円 |
2006年 | 25歳 | ソフトバンク | 9,000万円 |
2007年 | 26歳 | ソフトバンク | 1億4,000万円 |
2008年 | 27歳 | ソフトバンク | 1億5,000万円 |
2009年 | 28歳 | ソフトバンク | 1億5,000万円 |
2010年 | 29歳 | ソフトバンク | 1億5,000万円 |
2011年 | 30歳 | ソフトバンク | 2億4,000万円 |
2017年 | 36歳 | ソフトバンク | 9,000万円 |
MLB在籍時の年俸です。
年 | 年齢 | 所属球団 | 年俸 |
2012年 | 31歳 | マリナーズ | 60万ドル |
2013年 | 32歳 | ブルージェイズ | 60万ドル |
2014年 | 33歳 | ブルージェイズ | 60万ドル |
2015年 | 34歳 | ブルージェイズ | 60万ドル |
2016年 | 35歳 | カブス | 60万ドル |
ムネリンのこれからに注目!
ムネリンこと川崎宗則選手の引退時の状況は、多くのファンに不安を抱かせるものでした。現在も自律神経系の病気は完治していないようですが、現役選手として活躍する姿は同じ病気を抱える人の希望にもなっています。
今後、NPBに復帰することがあるのかどうか、また解説者やYouTubeなどのメディアでの活躍がどうなるのか、ムネリンの今後に注目していきましょう。