清原和博さんは、高卒ルーキー1年目から常勝軍団西武ライオンズのレギュラーまたクリーンアップを担った天才打者です。現役生活23年間で数々の成績を残し「平成の無冠の帝王」と呼ばれた清原和博さんが、現役時代に残した成績やタイトルを紹介します。
清原和博さんは大阪の強豪PL学園で1年生からレギュラーとして活躍し、甲子園通算13本塁打、高校通算64本塁打と高校生離れした活躍をみせました。
その後のドラフト会議で西武ライオンズから1位指名を受けて入団し、入団初年度の10月には高卒ルーキーでありながら常勝西武ライオンズの4番を任せられます。この当時、清原和博さんは19歳でした。
清原和博さんはその後、プロ野球選手として3つの球団を渡り歩き23年間のプロ生活で数々の成績を残しています。この記事では「平成の天才打者」清原和博さんが現役時代に残した偉大な成績を紹介します。
清原和博さんは1986年に埼玉西武ライオンズに入団し、その後11年間西武の主軸として活躍しました。清原和博さんが埼玉西武ライオンズ時代に残した成績を紹介します。
年度 | 成績 |
1986年 | 126試合、404打数123安打、打率.304、本塁打31、打点78 |
1987年 | 130試合、444打数115安打、打率.259、本塁打29、打点83 |
1988年 | 130試合、551打数129安打、打率.286、本塁打31、打点77 |
1989年 | 128試合、445打数126安打、打率.283、本塁打35、打点92 |
1990年 | 129試合、436打数134安打、打率.307、本塁打37、打点94 |
1991年 | 126試合、448打数121安打、打率.270、本塁打23、打点79 |
1992年 | 129試合、464打数134安打、打率.289、本塁打36、打点96 |
1993年 | 128試合、448打数120安打、打率.268、本塁打25、打点75 |
1994年 | 129試合、455打数127安打、打率.279、本塁打26、打点93 |
1995年 | 118試合、404打数99安打、打率.257、本塁打25、打点64 |
1996年 | 130試合、487打数125安打、打率.257、本塁打31、打点84 |
清原和博さんはフリーエージェント(FA)の権利を行使し、1997年に憧れの東京読売ジャイアンツに移籍し9年間プレーしました。清原和博さんが東京読売ジャイアンツ時代に残した成績を紹介します。
年度 | 成績 |
1997年 | 130試合、462打数115安打、打率.249、本塁打32、打点95 |
1998年 | 116試合、384打数103安打、打率.268、本塁打23、打点80 |
1999年 | 86試合、263打数62安打、打率.236、本塁打13、打点46 |
2000年 | 75試合、216打数64安打、打率.296、本塁打16、打点54 |
2001年 | 134試合、467打数139安打、打率.298、本塁打26、打点121 |
2002年 | 55試合、148打数47安打、打率.318、本塁打12、打点33 |
2003年 | 114試合、341打数99安打、打率.290、本塁打26、打点68 |
2004年 | 40試合、101打数23安打、打率.228、本塁打12、打点27 |
2005年 | 96試合、321打数68安打、打率.212、本塁打22、打点52 |
清原和博さんは、左膝半月板損傷の怪我や当時の監督である堀内恒夫さんとの確執などによって巨人で孤立し始めてしまい、2005年に12月2日に自由契約選手となります。
「捨てる神あれば拾う神あり」という言葉の通り、オリックスの監督を辞任したばかりの仰木彬さんからオファーがあり、2006年にオリックスに移籍しました。清原和博さんがオリックスブルーウェーブ時代に残した成績を紹介します。
年度 | 成績 |
2006年 | 67試合、203打数45安打、打率.222、本塁打11、打点36 |
2007年 | 記録なし |
2008年 | 22試合、22打数4安打、打率.182、本塁打0、打点3 |
清原和博さんが埼玉西武ライオンズに在籍していた11年間に残した成績を見れば、西武時代にいくらかのタイトルを受賞していてもおかしくはないように思うかもしれません。
しかし、清原和博さんは「平成の無冠の帝王」と呼ばれるほど、タイトルには縁がない選手でした。現役時代に清原和博さんが受賞したタイトルを紹介します。
清原和博さんは21年間の現役生活で受賞したタイトルは、最高出塁率が2回と最多勝利打点が1回だけです。
打者なら誰もが目指す本塁打王、打点王、首位打者のいずれも、清原和博さんは受賞したことがありません。
清原和博さんが「平成の無冠の帝王」と呼ばれる理由は、最強打者であれば受賞すべき3つのタイトルのいずれも取ったことがないからです。
清原和博さんほどの実力があれば、西武時代にタイトルの1つは取れていてもおかしくはないでしょう。
タイトルが取れなかった理由としては、所属球団が常勝軍団である西武ライオンズであったため、勝利を優先させるためにチームプレーに徹する必要があったことが挙げられます。また当時の西武のクリーンアップに強打者が多かったことも要因のひとつです。
当時の西武のクリーンアップは最強で、3番打者が秋山幸二さん、4番打者が清原和博さん、5番打者がデストラーデさんと、ホームランバッターがズラリといたため、無理にホームランを狙う必要がなかったかもしれません。
清原和博さんは現役通算525本のホームランを打っています。現役時代に500本以上のホームランを打っているのは、日本プロ野球史上わずか8人しかいません。
清原和博さんは山本浩二さんに次ぐ第5位です。500本以上のホームランを打っている選手はすべて、ホームラン王、打点王、首位打者のいずれかを現役時代に受賞しています。唯一受賞していないのは清原和博さんだけです。
順位 | ホームラン数 | 選手名 | タイトル |
1 | 868本 | 王貞治 | 首位打者(5回)本塁打王(15回)打点王(13回) |
2 | 657本 | 野村克也 | 首位打者(1回)本塁打王(9回)打点王(7回) |
3 | 567本 | 門田博光 | 本塁打王(3回)打点王(2回) |
4 | 536本 | 山本浩二 | 首位打者(1回)本塁打王(4回)打点王(3回) |
5 | 525本 | 清原和博 | なし |
6 | 510本 | 落合博満 | 首位打者(5回)本塁打王(5回)打点王(5回) |
7 | 504本 | 張本勲 | 首位打者(7回) |
7 | 504本 | 衣笠祥雄 | 打点王(1回) |
清原和博さんは、天才バッターとして首位打者、本塁打王、打点王のタイトルは取り損ないましたが、現役時代に残した成績は清原和博さんが一流選手であることをよく示しています。
清原和博さんが残した偉大な成績のなかには、歴代最多記録といわれるものもいくつか含まれており、主なものは通算三振数1位(1955)、通算デッドボール数1位(196)などです。ほかにも清原和博さんが打ち立てた不滅の成績が2つあるので紹介します。
清原和博さんが打ち立てた不滅の成績の1つは「サヨナラ」記録です。
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