久保建英の背番号は?歴代日本代表の背番号や20になった意味を調査!
久保建英選手は幼少期から海外でプレーしており、世界中からその将来を期待され続けていました。現在はスペインのソシエダで活躍している久保建英選手ですが、背番号は何番を着用しているのでしょうか。今回は久保建英選手の歴代の背番号や番号に込められた意味を紹介します。
目次
久保建英の背番号は?
現在、スペイン1部のソシエダでプレーしている久保建英選手は、日本代表の一員としてもプレーしています。ソシエダと日本代表では何番の背番号を着用しているのでしょうか。
日本代表は20番
現在日本代表で久保建英選手が着用している背番号は20番です。
本名:久保 建英(くぼ たけふさ)
愛称:タケ
生年月日:2001年6月4日
現在年齢:21歳
出身地:神奈川県
血液型:A
身長:173センチ
体重:64キロ
所属球団:レアル・ソシエダ(スペイン1部)
主な成績:2020東京五輪、2022W杯カタール大会出場
日本代表の背番号20番を背負っている久保建英選手のプロフィールは上記の通りです。2024年は、カタールで開催されたアジアカップのメンバーや2026年W杯アジア2次予選にてコンスタントに召集されました。
アジアカップのベスト16では貴重な得点を挙げるなど、21歳ながら代表の絶対的な存在として活躍している選手です。
レアル・ソシエダは14番
久保建英選手が現在所属しているスペイン1部のソシエダでは、背番号14番を着用しています。
2022年から在籍しているソシエダでは主に右ウイングを任されており、細かなボールタッチと高いドリブル技術を駆使して幾度となくチャンスを演出してきました。
スペイン国内での評価はかなり高く、今季は自身の念願だったチャンピオンズリーグに出場したこともあり、ソシエダでは充実したシーズンを過ごしているようです。
久保建英の背番号が20番になったのはなぜ?
久保建英選手の日本代表での背番号が20番だと紹介しましたが、何故20番になったのでしょうか。ここからはその理由についてみていきましょう。
理由は特にない
2023年6月に開催されたキリンチャレンジカップから、背番号が新たに20番になった久保建英選手ですが、20番を選んだ理由については「特に意味はない」と明かしています。
久保建英選手はエースナンバーである10番を希望していたそうですが、10番は他の選手が既に着用していたので難しく、他の番号なら何番でもよかったとも話しています。
その際に誰も選んでなさそうだった20番を選び、今に至るそうです。そういった経緯があっただけに、久保建英選手は20番を選んだことに対して、特に何か深い意味がある訳ではないと明かしたのではないでしょうか。
10番を望んでいた
前述したように、久保建英選手は元々10番を希望していたそうです。10番と言えば、サッカーでいうエース何番で、過去には中村俊輔選手や香川真司選手などが日本代表では着用しています。
しかし、現在はカタールW杯でスペインやドイツ相手に得点を挙げた堂安律選手が10番を着用しており、久保建英選手は20番を選ぶこととなりました。
代表の10番を付けたいと言っているけど、結果が出ている者が一番なのでそこは深い意味はあまりない
このことに対し、久保建英選手は上記のように話しており、その上で今後は自身が10番を背負えるように、日本代表でのより一層の活躍を誓っています。
本人も10番へのこだわりが非常に強いだけに、今後10番を巡って堂安律選手と互いに切磋琢磨しあう活躍に期待しましょう。
久保建英の歴代の背番号とは?
ここまでは日本代表とソシエダでの背番号を紹介しましたが、過去にはどのような背番号を着用していたのでしょうか。次からは久保建英選手が着用してきた歴代の背番号について紹介します。
歴代クラブの背番号
これまでに久保建英選手が在籍したクラブで着用していた背番号は以下のとおりです。
シーズン | 所属クラブ | 背番号 |
2017年 | FC東京 | 15 |
2018年 | 横浜F・マリノス | 15 |
2019年 | FC東京 | 15 |
2019年 | レアル・マドリード | 26 |
2019〜2020年 | マジョルカ | 26 |
2020年 | ビジャレアル | 15 |
2021年 | ヘタフェ | 5 |
2021〜2022年 | マジョルカ | 17 |
2022〜現在 | レアル・ソシエダ | 14 |
これまでに在籍したクラブでの背番号を見ると、実は一度も本人が熱望している背番号10番を着用したことがないことが分かります。
ただ、久保建英選手はまだ非常に若い選手なので、今の活躍が今後も続けば憧れである背番号10番を着用する日が来るのもそう遠くはないのではないでしょうか。
歴代日本代表の背番号
次は、久保建英選手のこれまでに日本代表で着用してきた背番号を紹介します。
シーズン | 代表カテゴリー | 背番号 |
2015年 | U-15 | 17 |
2017年 | U-17 | 7 |
2017年 | U-20 | 20 |
2019年 | A代表 | 27 |
2020年 | A代表 | 17 |
2021年 | 東京五輪2020 | 11,7 |
2022年 | カタールW杯 | 11 |
2023〜現在 | A代表 | 20 |
日本代表でもクラブ同様に一度も背番号10番は着用していません。ただ、18歳で代表デビューを果たして以降、7番や11番などの主力番号を既に任されているあたり、かなり期待されている様子が伺えます。
今後久保建英選手の憧れである背番号10番を着用する日が来るのを楽しみにしているファンも多いことでしょう。
背番号20番になった久保建英はバルセロナと関係性があった
最後に、久保建英選手と世界的ビッククラブであるバルセロナとの関係性について深掘りして紹介していきます。
9歳の頃バルセロナの下部組織に入団していた
2010年に日本で開催されたバルセロナキャンプでMVPを獲得した久保建英選手は、その後現地でのテストを経て、9歳から13歳になるまでの間はバルセロナの下部組織に在籍していました。
当時のチームメイトには、現在ブライトンでプレーしているアンス・ファティやジローナのエリック・ガルシアなどが在籍しており、幼少期から久保建英選手は非常にレベルの高い環境でその腕を磨いていました。
セスクがバルサ下部組織所属の久保建英君を称賛「才能にあふれている」 http://t.co/cMCeA4cf9w セスクがカンテラの“後輩”について言及しました。 pic.twitter.com/o1MAeK9I5r
— サッカーキング (@SoccerKingJP) February 20, 2014
しかし、2014年にFIFAはバルセロナに18歳以下の外国人選手の移籍に規律違反があったとし、制裁を加えること決めました。
これにより久保建英選手は公式戦に出場できなくなってしまい、渋々日本に帰国することを選択します。その後、13歳で日本に帰国しFC東京の下部組織へと入団することになりました。
復帰しなかった理由は条件の大幅な改定
FIFAの制裁により18歳になるまでスペインでプレーすることができなくなってしまった久保建英選手ですが、当初は18歳の誕生日を向けると同時にバルセロナに復帰するとの見方がされていました。
しかし、実際に久保建英選手はバルセロナには復帰しておらず、因縁のライバルであるレアル・マドリーへの加入を決断しています。
世界中のサッカーファンを驚かせた決断でしたが、その理由としてバルセロナ側が久保建英選手と事前に交わしていた契約の条件を大幅に改定したことが原因だったようです。
詳しい条件は公開されていませんが、久保建英選手にとっては自身の将来性に見合う内容の契約ではなく、正当な評価ではなかったといわれています。
その後、ライバルチームであるレアル・マドリーが久保建英選手側の希望に沿った条件でオファーを出したことから、久保建英選手はバルセロナ復帰ではなくレアル・マドリーへの加入を決断しました。
背番号20番になった久保建英の今後の活躍に注目しよう
以上、本記事ではソシエダで活躍する久保建英選手の背番号について詳しく紹介しました。18歳でスペインに渡航して活躍し続ける久保建英選手には多くのサッカーファンが注目を寄せています。今後の久保建英選手の更なる活躍に期待しましょう。