森本稀哲さんは、日本ハム在籍時にはBIGBOSSこと新庄剛志監督と共に、粋なファンサービスで札幌ドームのファンを楽しませました。森本稀哲さんは在日韓国人なので本名も韓国名です。気になる森本稀哲さんの韓国語の本名や生い立ち、また嫁について紹介します。
他球団から移籍した選手が、引退試合を移籍先の球団で行うのは異例なことです。いわゆる「外様」の選手には花道を飾らせないという風潮が日本のプロ野球にはあります。
そのような風潮があるなか、現役最後の球団となった埼玉西武ライオンズで「外様」の選手のために引退試合が行われました。
引退試合の中心にいたのは、この記事で取り上げる森本稀哲さんです。森本稀哲さんは西武ライオンズにわずか2年しか在籍していません。
しかし、チームメイトから愛された森本稀哲さんのために、球団は引退セレモニーを企画しました。8回途中から森本稀哲さんは試合に出場したため、森本稀哲さんが現役最後の打席に立つには、その裏の攻撃で4人が出塁する必要がありました。
「稀哲さんに回せ」というかけ声と共に西武ベンチは一丸となり、普段は絶対しないメヒア選手の全力疾走や、栗山選手の執念のフォアボールによって森本稀哲さんに打席が回ります。結果はサードゴロでしたが、現役最後に最高の花道を飾ることができました。
森本稀哲(ひちょり)さんは東京都の出身で、幼い頃はサッカーをしていましたが、小学校の友人に誘われて野球を始めます。
森本稀哲さんは汎発性円形脱毛症にかかったためスキンヘッドにしていましたが、周囲にはからかう人もいました。しかし、野球は帽子をかぶってプレーできるので心のやすらぎになり、野球に専念するようになったそうです。
高校は野球の名門である帝京高校に進み、3年生の時にはキャプテンを務めます。高校通算34本塁打を記録し、1998年のドラフト会議で日本ハムファイターズから4位指名を受けて入団しました。
常に前を向いて全力でプレーし続けた森本稀哲(ひちょり)さんのプロフィールを紹介します。
本名 | 森本稀哲(ひちょり) |
愛称 | ひちょり |
生年月日 | 1981年1月31日 |
現在年齢 | 41歳 |
出身地 | 東京都荒川区 |
血液型 | B型 |
身長 | 185cm |
体重 | 81kg |
所属球団 | 北海道日本ハムフィターズ(2000年~2010年) 横浜DeNAベースターズ(2011年~2013年) 埼玉西武ライオンズ(2014年~2015年) |
主な成績 | 通算1272試合、3497打数904安打、打率.259、本塁打33、打点267 ベストナイン(1回) ゴールデングラブ賞(3回) JA全農Go・Go賞強肩賞(2回) 札幌ドームMVP(1回) 日本シリーズ優秀選手賞(1回) オールスターゲーム優秀選手賞(1回) オールスターゲーム新人賞 |
森本稀哲さんの野球人生は、多くの人に勇気と希望を与えました。苦しいときでも全力で物事に取り組む森本稀哲さんの原点は、BIGBOSSこと新庄剛志監督との出会いと森本稀哲さんの家族です。
森本稀哲は本名で「もりもとひちょり」と読み、日本語にはない珍しい名前です。森本稀哲さんの本名には家族や国籍が深く関係しています。森本稀哲さんの国籍や家族背景を紹介します。
森本稀哲さんは、自分が在日韓国人であることを公表しています。小学校は韓国学校に通っていたそうです。
韓国学校では韓国人としての民族意識を教え込まれたようで、本人も当初はその影響を強く受けていたといいます。
日本の国籍法によれば、日本国籍を取得する主な方法は「出生」「届出」「帰化」の3つです。「出生」とは血統主義のことで、生まれた時に父または母が日本国民であれば、子供は日本国民となります。
森本稀哲さんはお母さんが日本人なので、日本国籍を選択することもできましたが、初等教育で教え込まれた在日韓国人としての民族意識が影響し、お父さんの韓国籍を選んだのかもしれません。
森本稀哲さんの母は日本人で、卓球のアジア大会予選に出場したこともある卓球選手だったそうです。
父が在日韓国人だったため、森本稀哲さんの国籍は韓国でした。また、森本稀哲さんには妹がいて、三菱東京UFJ銀行のバレーチームで活躍した森本允恵さんが妹です。
森本稀哲さんのお父さんとお母さんは、東京都荒川区西日暮里にある「絵理花」という焼き肉店を営んでいました。
現在は、ご両親の年齢や体力、建物の老朽化などの問題でお店は閉めているそうです。ご両親の焼き肉屋さんは、野球ファンや森本稀哲さんファンが集まる人気店で、お店には森本稀哲さんゆかりの品々が展示されていたそうです。
森本稀哲さんはお父さんが在日韓国人であるため、これまでずっと韓国籍を有していました。しかし、現役生活8年目、プロ野球選手としての最盛期であった2007年に日本人に帰化しており、現在は韓国人ではなく日本人として活動しています。
森本稀哲さんは、BIGBOSSこと新庄剛志監督と一緒に北海道日本ハムファイターズを大いに盛り上げ、日本ハムファイターズのホームゲームでは、常に札幌ドームが観客でいっぱいでした。
記録にも記憶にも残る素晴らしい選手でしたが、ネットでは森本稀哲さんの嫁が美人であると話題になっています。気になる森本稀哲さんの嫁や家族についてみていきましょう。
森本稀哲さんは、横浜DeNAベースターズに在籍していた2012年3月8日に2歳年上のモデル悠美さんとの結婚を発表しました。
悠美さんは東京で生まれ、愛知県の知多半田市で育ちました。短大を卒業した後、名古屋でモデルとしてのキャリアをスタートさせます。
「カネボウ」の水着イメージモデル、ファッション雑誌「JJ」や「Domani」の専属モデルなどに抜擢されるほど、スタイルも容姿も完璧な女性です。
二人は共通の知人を通して知り合いますが、驚きなのはアプローチをかけたのは嫁の悠美さんだったそうです。嫁の悠美さんは、現在もモデルとして活躍しています。
美人姉さん女房の悠美さんとは結婚して10年が経ちますが、森本稀哲さんとの間には2人の子供がいて、2014年7月26日に長女、2016年3月には長男が誕生しています。
長女は現在8歳、長男は現在6歳です。嫁の悠美さんは自身の公式Instagramアカウントで、家族の写真を定期的にアップしているので、子供たちの成長や家族の日常などをみることができます。
韓国人としてのルーツを持ち、現在は日本人として嫁と2人の子供に囲まれて生活している森本稀哲さんですが、ユニフォームを脱ぎ現役生活に別れを告げてから7年が経過し、現在どのような活動をしているのでしょうか。ここでは森本稀哲さんの現在を紹介します。
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