堂安律選手は、現在のサッカー日本代表にて中核を担っている重要な選手です。確かな技術と強烈な左足のシュートを武器としており、高校時代から名の知れた選手でした。今回はその堂安律選手の出身高校の偏差値や、在籍していた中学校・小学校などの学歴を紹介します。
堂安律選手の出身高校はどこなのでしょうか。まずは堂安律選手が18歳までの3年間を過ごした高校について紹介します。
堂安律選手の出身高校は、追手門学院高等学校です。
大阪府の茨市に所在している追手門学院高等学校は、偏差値が58を超える優秀な新学校として知られています。高校時代から堂安律選手は、サッカーのみならず勉強にもしっかり励んで文武両道だったようです。
しかし、堂安律選手は選手活動が忙しくなるにつれて通うことが困難になり、後に紹介する通信制の学校への転校を余儀なくされました。
追手門学院高等学校から堂安律選手が転校したのは、通信制の高校である向陽台高等学校です。
堂安律選手は、高校2年生の時から二種選手としてガンバ大阪に登録されており、その後はACLメンバーに選出されるなど、高校時代からかなり多忙な毎日を過ごしていました。
年代別の日本代表の活動にも参加していたため普通の高校に通うことは難しく、通信制でありガンバ大阪と提携している向陽台高等学校への編入を決めたそうです。
ユース時代から将来を嘱望されていた堂安律選手は、前述したように高校2年生の時からガンバ大阪のトップチームに登録されていました。ユースチームでは絶対的な存在で、年代別日本代表にも選出されています。
2015年5月27日におこなわれたACLのFCソウル戦に出場したことで、宇佐美貴史選手に次ぐクラブ史上2番目となる16歳344日でのプロデビューを飾りました。
出身高校については紹介しましたが、高校に入学する前の出身校はどこなのでしょうか。ここからは小学校と中学校時代についてもみていきましょう。
堂安律選手の出身小学校は尼崎市立浦風小学校です。地元が尼崎市なので、自宅から最も近い小学校に通っていたのではないでしょうか。
小学校時代から天才少年として大勢の大人を虜にしてきた堂安律選手ですが、小学4年生時にある大きな挫折を経験します。
それは、セレッソ大阪のセレクションに不合格となったことでした。当時から負けん気の強かった堂安律選手は、この落選をバネに更にサッカーに打ち込みます。
そして、小学校卒業時に自身を不合格にしたセレッソ大阪からオファーを受けますが、そのオファーを拒否してライバルチームであるガンバ大阪に加入することを決意しました。
この逸話から、堂安律選手は小学生の頃から非常に負けず嫌いで強気な性格だったといわれています。
中学生になると同時にガンバ大阪のジュニアユースに加入した堂安律選手が通っていた中学校は尼崎市立小田南中学校です。
小学校同様に堂安律選手の地元の公立中学校ですが、2016年に尼崎市立若草中学校と統合したことで今は廃校となっています。
中学時代は過去に家長昭博選手や宇佐美貴史選手などを育てた厳しい指導者に揉まれながらも徐々に頭角を表すと、2012年にはU-15の世代で見事全国大会3冠を達成しました。
そして、ジュニアユースで頭抜きん出た存在だった堂安律選手はその結果を買われ、ガンバ大阪ユースへの昇格を勝ち取っています。
高校2年生で既にプロデビューを果たしていた堂安律選手ですが、その後はどのような道を歩んでいったのでしょうか。ここからは高校卒業後の堂安律選手について詳しく追っていきます。
ジュニアユース、ユースを経てガンバ大阪のトップチームに昇格した堂安律選手は、19歳になる2017年のシーズンまでガンバ大阪に在籍していました。
2016年までは、セカンドチームとなるガンバ大阪U-23での出場が主となっていましたが、年代別日本代表やガンバ大阪U-23での活躍が評価されて、2017年はトップチームに定着します。
そして、2017年6月23日に19歳の若さでオランダのFCフローニンゲンへの移籍が決定したことで、中学時代から在籍したガンバ大阪を退団、海外へと挑戦の場を移しました。
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