村上宗隆選手といえば東京ヤクルトスワローズの主力バッターですが、その成功には父である村上公弥さんが大きく影響しているといわれています。この記事では、東京ヤクルトスワローズの村上宗隆選手の家族構成や、父親の村上公弥さんについて紹介します。
「世界のホームラン王」である王貞治さんがシーズン通算55本塁打を達成したのは1964年、以降49年間、この記録を塗り替えた選手は誰もいませんでした。
しかし、2013年に東京ヤクルトスワローズの助っ人外国人バレンティンが、シーズン通算60本塁打を打ち、ついに記録は破られました。
そして、2022年にシーズン通算60塁打の記録を再び塗り替えるのではと、大きな期待をかけられた日本人選手が村上宗隆選手です。
プロ野球選手、またホームランバッター村上宗隆選手の原点は父親である村上公弥さんです。村上公弥さんも高校球児でしたが、右肩の故障で野球を断念しなければならず、親の果てせなかった夢を息子・村上宗隆選手に託しました。
この記事では日本を代表するホームランバッターである村上宗隆選手を育て上げた父親・村上公弥さんの仕事や家族構成について紹介します。
多くのファンが期待する村上宗隆選手のプロフィールを紹介します。
本名 | 村上宗隆 |
愛称 | ムネ、村上様 |
生年月日 | 2000年2月2日 |
現在年齢 | 22歳 |
出身地 | 熊本県熊本市 |
血液型 | O型 |
身長 | 188cm |
体重 | 97kg |
所属球団 | 東京ヤクルトスワローズ(2018年~) |
主な成績 | 通算541試合、1892打数537安打、打率.284、本塁打159、打点428 本塁打王(1回) 最高出塁率(1回) 最優秀選手(1回) 新人王 ベストナイン(2回) 月間MVP(4回) セ・パ交流戦最優秀選手賞(1回) オールスターゲーム敢闘選手賞(1回) ホームランダービー日産リーフ賞(1回) |
村上宗隆選手の実家は九州熊本県熊本市ですが、通っていた小学校が熊本市立託麻南小学校であること、また中学校が熊本市立長嶺中学校であることから、熊本県熊本市東区長嶺周辺に実家があると考えられます。
村上宗隆選手を日本一のプロ野球選手に育て上げた父・村上公弥さんは、元高校球児として村上宗隆選手を指導しただけでなく、高校野球チームが必要とする遠征費用などにかかる費用を、金銭面でバックアップしたのかもしれません。
その根拠は、村上公弥さんがお金持ちだといわれているからです。
村上公弥さんは、現在「ムラカミ不動産」という不動産会社の社長として会社を切り盛りしています。
ただ不動産会社を父親から引き継いだわけではなく、10年間は建設会社で働き、その後不動産会社で数年間働いた後に独立開業しているので、村上宗隆選手が小学校、中学校、高校時代に実家が裕福だったかどうかは分かりません。
お父さんが警察官だったこともあり、村上公弥さんは小さいころから礼儀やマナーに関して厳しく育てられたといいます。
自分の子供たちにも礼儀作法のしっかりできる大人になってほしいという願いから、村上公弥さんは父親のように子供達の礼儀やマナーにとても厳しかったとのことです。
村上公弥さんの息子・村上宗隆選手の身長は188cmありますが、家族の中で身長が高いのは村上宗隆選手だけではないようです。村上宗隆選手を育んだ家族や兄弟について紹介します。
村上公弥さんの妻で、村上宗隆選手のお母さんは村上文代さんといいます。村上文代さんは高校時代にバレーボールをしていたそうで、身長も170cmあるそうです。
村上公弥さんには息子が3人いて長男は村上友幸さんです。村上友幸さんは村上宗隆選手より2歳年上で、硬式野球をしています。
東海大学付属熊本星翔高等学校ではピッチャーでしたが、右ひじ靱帯の手術が原因でコントロールが定まらなくなり、野球を諦めかけました。
しかし監督のすすめもあり野球をやめず、現在は「テイ・エステティック」という社会人野球のチームで活躍しています。
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