秋山幸二さんは、1980年代の常勝軍団といわれた西武ライオンズの中心選手です。秋山幸二さんには秋山千晶さんという嫁がいましたが、55歳のときに亡くなっています。この記事では、嫁の秋山千晶さんの死因や娘の秋山真凛さん、また秋山幸二さんの結婚歴などを紹介します。
2014年12月10日に悲しいニュースが報道されました。これまで長年にわたって夫で元プロ野球選手である秋山幸二さんを陰で支え続けた、奥さんである秋山千晶さんが亡くなったというニュースです。
秋山幸二さんといえば、1980年代にその名を轟かせ、セ・パ両リーグの王者に何度もなった常勝軍団 埼玉西武ライオンズの中心選手として活躍しました。
現役引退後は福岡ソフトバンクホークスの監督としてチームを日本一に導き、野手としても監督としても成功を収めています。
飛ぶ鳥を落とす勢いだった秋山幸二さんでしたが、2013年に開催されたWBCの侍ジャパン監督としての要請を断り、日本一になった翌年以降は監督続行の契約を球団と結ぶことはありませんでした。
その背景には、嫁の秋山千晶さんの病気の悪化と看病があったからだといわれています。
秋山千晶さんは秋山幸二さんの嫁で1994年11月に結婚しています。結婚前の秋山千晶さんはカラオケ店でママをしていました。タレントであり元宮城県知事を務められた東国原英夫の元妻である、元アナウンサーのの片平夏貴さんは、秋山千晶さんの実のお姉さんです。
夫で元プロ野球選手である秋山幸二さんのプロフィールを紹介します。
本名 | 秋山幸二 |
愛称 | ??? |
生年月日 | 1962年4月6日 |
現在年齢 | 60歳 |
出身地 | 熊本県八代郡氷川町 |
血液型 | O型 |
身長 | 186cm |
体重 | 86kg |
所属球団 | 埼玉西武ライオンズ(1981年~1994年) 現福岡ソフトバンクホークス(1994年~2002年) 福岡ソフトバンクホークス(2005年~2014年) |
主な成績 | 通算2189試合、7997打数、2157安打、437本塁打、1312打点、打率.270 本塁打王(1回) 盗塁王(1回) 最多勝利打点(2回) ベストナイン(8回) ゴールデングラブ賞(11回) 野球殿堂競技者表彰 正力松太郎賞(3回) 月間MVP(3回) 日本シリーズMVP(2回) 日本シリーズ最優秀選手(2回) オールスターゲームMVP(2回) IBMプライヤー・オブ・ザ・イヤー賞(2回) パリーグ最優秀監督賞(3回) 報知プロスポーツ大賞(1回) |
秋山幸二さんと嫁の秋山千晶さんとの結婚は再婚で、以前に秋山幸二さんは他の女性と結婚していました。1986年に秋山幸二さんと前妻は結婚し、二人の間には息子さんが二人います。
秋山幸二さんは1994年に前妻と離婚しており、亡くなられた嫁の秋山千晶さんとの再婚が1994年なので、離婚後すぐに秋山千晶さんと再婚されたことになります。
離婚の理由は、秋山幸二さんの浮気や前妻の金銭問題などいろいろと噂されていますが、真相は誰にも分かりません。
秋山幸二さんは前妻との間に二人の息子がいることはすでに紹介しましたが、亡くなられた嫁の秋山千晶さんとの間に子供さんがいるのか気になるところです。
ネットでは二人の間には娘さんがいて、そこそこ名前の知られた方であるといわれています。気になる子供の情報について紹介します。
秋山幸二さんと再婚相手の秋山千晶さんとの間には、秋山真凛さんという娘がいます。秋山真凛さんは、日本の元アマチュア女子ゴルファーで、現在はタレントまたスポーツキャスターとして活躍中です。秋山真凜さんは英語と韓国語が流ちょうに話せます。
プロゴルファーを目指していた秋山真凛さんを全面的にバックアップしていたのが、お母さんの秋山千晶さんでした。
秋山真凜さんがゴルフの遠征で出かけられるときは、秋山千晶さん自らハンドルを握り、全国各地を飛び回っていたようです。
しかし、秋山真凜さんが新たな夢へ向かって大学進学を決めた時には、秋山千晶さんはすでに病で伏していたようで、母親の看病をするために秋山真凜さんはプロゴルファーの道を断念されたそうです。
秋山幸二さんと嫁の秋山千晶さんの間には、娘の秋山真凛さん以外に息子もいました。晃輝くんという秋山家にとっては待望の息子の誕生でしたが、2001年に亡くなっています。
こうした辛い経験があったため、嫁の秋山千晶さんは娘の秋山真凛さんのために力を尽くしました。息子に続き最愛の妻も亡くした秋山幸二さんの悲しみは、言葉では表現できないほど深いものだったはずです。
前妻と離婚し再婚相手となった嫁の秋山千晶さんと長男を亡くすという不幸に見舞われた秋山幸二さんですが、気になるのは嫁秋山千晶さんの病気です。どんな病魔に冒されて短い生涯を終えることになったのか、気になる話題について紹介します。
嫁の秋山千晶さんが亡くなったのは2014年12月9日、享年55歳でした。再婚相手の嫁秋山千晶さんの死後、秋山幸二さんはインタビューに応じています。
そのなかで、最愛の嫁秋山千晶さんとの闘病生活は3年にも及び、本人が痛みや苦しみのため最も辛かったにもかかわらず、闘病中に愚痴をこぼすことは一度もなく、常に家族と明るく接した千晶さんの気丈さを称え、感謝を言い表しています。
誇れる嫁を失い、深い悲しみと寂しい気持ちでいっぱいであると述べました。
3年間も秋山千晶さんを苦しめた病気は、脳腫瘍でも最も悪性度が高いとされる神経膠芽腫(こうがしゅ)であったことが明らかにされました。
脳と脊髄には神経細胞と神経線維、その間を埋めている神経膠細胞がありますが、この神経膠細胞から発生する腫瘍の総称が神経膠腫(グリオーマ)で、最も悪性のものが神経膠芽腫です。
周囲の脳にしみ込むように広がっていくのが特徴で、腫瘍は正常脳との境界が不鮮明となるため手術は困難だといわれています。神経膠芽腫は、45~70歳代の成人に最も多くみられ、秋山千晶さんも残念ながらこの病気におかされてしまいました。
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