高津臣吾の若い頃がイケメンで年俸がすごかった?性格や現役時代の成績も調査
高津臣吾さんはプロ野球選手を引退後も野球解説者・野球評論家として活躍しています。現在は東京ヤクルトスワローズの監督を務める高津臣吾さんですが、若い頃はイケメンで年棒もすごかったそうです。この記事では、高津臣吾さんの若い頃の年棒や成績について紹介します。
目次
高津臣吾のプロフィール
元プロ野球選手の高津臣吾さんは、現役引退後も野球解説者・野球評論家として活躍し、現在は東京ヤクルトスワローズの監督を務めています。まず、高津臣吾さんのプロフィールをみてみましょう。
本名 | 高津臣吾 |
愛称 | ??? |
生年月日 | 1968年11月25日 |
現在年齢 | 54歳 |
出身地 | 広島県広島市南区 |
血液型 | A型 |
身長 | 183㎝ |
体重 | 81㎏ |
所属球団 | ヤクルトスワローズ/ホワイトソックス/メッツ/韓国/台湾/新潟アルビレックスBC |
主な通算成績 | 通算598試合/36勝利/46敗北/286セーブ/4完投/勝率.439 |
高津臣吾の経歴
高津臣吾さんは1990年にドラフト3位でヤクルトスワローズに入団しました。入団後はピッチャーとして活躍し「最優秀救援投手」を4度も獲得しています。
その後は2003年にホワイトソックスと契約してメジャーリーグでも活躍、松井秀喜さんとも対戦しています。
2005年にはメッツに移籍してチャンピオンリングを手に入れ、その後2006年にヤクルトスワローズへ復帰しました。
2008年以降はカブスとマイナー契約を結んだ後、韓国・台湾時代を経て、2011年に独立リーグの新潟アルビレックスBCに入団しています。
球界会員として独立リーグに入団したのは史上初のことです。そして2012年に現役引退を表明し、新潟対信濃戦が引退試合になりました。
高津臣吾の若い頃がイケメン?
高津臣吾さんは2020年から東京ヤクルトスワローズの監督を務めており、日本シリーズ制覇/セ・リーグ優勝へと導き、監督としても結果を残しています。
また若い頃は「最優秀救援投手」を4度も獲得し、輝かしい成績を残した素晴らしい選手です。ここでは、高津臣吾さんの若い頃について紹介しす。
高津臣吾の若い頃がイケメンで年俸がすごかった?
高津臣吾さんは素晴らしい成績を残していましたが、若い頃はイケメンだったこともあり、女性からも人気が高かったようです。また、それだけの結果を残していたため、若い頃は年俸もすごかったといわれています。
現役全盛期の年俸は?
高津臣吾さんはピッチャーとして数多くの成績を残しており評価も高かったため、若い頃は年俸も相当高額なものなっていました。当時、ヤクルトスワローズのピッチャーとしては初となる「年俸1億円超え」での契約をしています。
また、現役全盛期の最高年俸は、ホワイトソックス時代の2億5,000万円です。日本でもアメリカでも、高津臣吾さんは高い評価を得ていたことがよく分かります。
高津臣吾は性格がいいってほんと?
高津臣吾さんの性格について紹介していきます。
高津臣吾の性格は?
高津臣吾さんは、どのような性格をしているのでしょうか。イメージとしては、真面目できっちりとしているイメージがあるかもしれません。しかし、意外にも面白い性格をしているようで、こんなエピソードがあります。
高津臣吾さんは、鉄板ネタとしてクリスタルキングの「大都会」を熱唱するそうで、フジテレビの「プロ野球珍プレー好プレー」でも披露していました。
監督に向いている性格?
高津臣吾さんは以前インタビューにおいて、次のように語っています。
「トップの人が積極的にマネジメントする。そこがはっきりしていないと、その下で働く人が動きづらくなる。だからこそ、全体を統括する人がきちんと指示する。」
監督としてマネジメント力が重要であること、結果を出していることも含めて、高津臣吾さんは監督に向いているということがいえるでしょう。
高津臣吾の現役時代の成績
高津臣吾さんの現役時代の成績について紹介していきます。
ヤクルト時代の成績
高津臣吾さんはヤクルトスワローズ時代に4度も最優秀救援投手を獲得しいます。また、2003年には通算286セーブ・289セーブポイントの日本記録を達成しました。
メジャー移籍後の成績
高津臣吾さんのメジャー移籍後の成績は、99試合に登板・8勝6敗・27セーブでした。リリーフ投手としての登板がほとんどではありましが、シーズン途中からはクローザーとして活躍しています。
高津のシンカーはすごい!
高津臣吾さんはシンカーがすごいことで有名です。もともと高津臣吾さんは速く・変化の少ないシンカーを投げていましたが、野村克也監督から「もっと遅いシンカーを投げられないか」と言われたことがきっかけとなり、これまでとは異なるシンカーを習得しました。
習得したシンカーはサイドスロー特有の横からボールをリリースするため、下から一旦浮き上がってから沈むような軌道を描きます。これこそが「魔球シンカー」と呼ばれた高津臣吾さん最大の武器でした。