高校生時代「ハンカチ王子」と呼ばれた斎藤佑樹さんは、現在なにをしているのでしょうか。プロ野球では結果を残せず、ネットでは「さいてょ」と呼ばれることもあります。この記事では、斎藤佑樹さんがなぜ「さいてょ」と呼ばれたのか、なぜ引退したのか、現在の様子を紹介します。
高校野球の甲子園大会史上、名勝負と呼ばれる試合はいくつかありますが、そのひとつが2006年の夏の甲子園大会決勝戦です。駒大苫小牧と早稲田実業が対戦しましたが、試合はまれに見る投手戦となりました。
斎藤佑樹さんはその中心となった投手です。試合は延長15回まで戦い合っても決着がつかず、引き分け再試合となります。
翌日の再試合で斎藤佑樹さんは駒大苫小牧のエース田中将大との投げ合いに勝ち、見事早稲田実業を夏の甲子園初優勝に導きました。
この記事では甲子園のヒーロー、斎藤佑樹さんのこれまでの歩みや現在の様子について紹介します。
甲子園大会決勝戦を投げ合った田中将大選手とは異なり、斎藤佑樹さんは高校卒業後にプロ野球入りはせず、早稲田大学に進学し野球部に入部します。
早稲田大学4年間で斎藤佑樹さんは通算30勝300奪三振を達成し、その年のドラフト会議で4球団が斎藤佑樹さん1位指名するほどの注目度でした。
北海道日本ハムファイターズが交渉権を獲得し、斎藤佑樹さんは北海道日本ハムファイターズに入団します。では、斎藤佑樹さんのプロフィールをみていきましょう。
本名 | 斎藤佑樹 |
愛称 | ハンカチ王子、佑ちゃん、さいてょ |
生年月日 | 1988年6月6日 |
現在年齢 | 34歳 |
出身地 | 群馬県太田市 |
血液型 | A型 |
身長 | 176cm |
体重 | 77kg |
所属球団 | 北海道日本ハムファイターズ(2011年~2021年) |
主な成績 | 通算 89試合、15勝26敗、防御率4.34、勝率.366、奪三振209 オールスターゲームSKYACTIV TECHNOLOGY賞(1回) Get Sports賞 |
斎藤佑樹さんは「ハンカチ王子」としての愛称が有名です。斎藤佑樹さんと同年代の野球選手が「ハンカチ世代」と呼ばれるほどの影響力がありました。
斎藤佑樹さんが「ハンカチ王子」と呼ばれるようになった理由は、2006年の甲子園大会で、汗をかいた顔を青色のハンカチでぬぐう姿が観衆の印象に残ったからです。
ハンサムな顔とハンカチを使って顔の汗をふく爽やかな姿が、高貴な「王子様」のようであったため、いつしか斎藤佑樹さんは「ハンカチ王子」と呼ばれるようになりました。
斎藤佑樹さんと甲子園で投げ合った田中将大選手は、高校卒業後に東北楽天イーグルスに入団し、その後ニューヨーク・ヤンキースで大型契約を結ぶほどプロ野球選手として大成功します。
しかし、斎藤佑樹さんは田中将大選手ほどの期待された活躍はできませんでした。2011年に北海道日本ハムファイターズに入団してから2021年に引退するまでの11年間頑張ってきましたが、ファンを納得させるほどの成績を残せず「さいてょ」と蔑称で呼ばれました。
11年間の短い選手生活に別れを告げた斎藤佑樹さんですが、引退後の人生が気になる方もいるでしょう。では「ハンカチ王子」と呼ばれ一世を風靡した斎藤佑樹さんの現在の様子を紹介します。
斎藤佑樹さんは現在会社を立ち上げ運営しています。会社名は「株式会社斎藤佑樹」です。株式会社の設立と同時に会社のホームページも開設しています。
「株式会社斎藤佑樹」の設立目的について、斎藤佑樹さんは、自分の経験を活かして野球に関わる選手やスタッフへのサポートを行ってゆき、野球に関わりながら自分を育ててくれた野球界に貢献していきたいと述べています。
斎藤佑樹さんは「株式会社斎藤佑樹」の設立を発表した会見で、番組やメディアからのオファーがあったことを認めています。斎藤佑樹さんは引退後にいくつかの芸能事務所やエージェントと接触をしていたようです。
「ハンカチ王子」として斎藤佑樹さんが築いた「爽やかな青年」という印象や人気また知名度のために、複数の番組が斎藤佑樹さんに興味を持ち、なかでもテレビ朝日の看板番組である「報道ステーション」は斎藤佑樹さんに特別な眼差しを向けていたといいます。
10月のリニューアルを機に、若い視聴者層を取り込む目的で、斎藤佑樹さんをスポーツキャスターとして使いたいと考えていたようです。
現役時代、斎藤佑樹さんはあまりしゃべらない選手と多くの人に考えられていましたが、実は話術や会話センスに優れているのでしょう。
斎藤佑樹さんは現在、番組やメディアへの出演をしていますが、斎藤佑樹さんが軸足を置いているのは「株式会社斎藤佑樹」の活動のようです。お世話になった野球界に恩返しを自分なりの方法で行っていくことが「株式会社斎藤佑樹」設立の目的です。
具体的な目標は、野球選手やスタッフが働きやすい環境を作ってくこと、野球の観戦に訪れる観客がもっと野球を楽しめる場を提供すること、現役野球選手が怪我と向き合うためのメンタル管理の指導、小中校生の育成、選手のセカンドキャリアのサポートなどです。
「ハンカチ王子」として甲子園球場の観客や、北海道日本ハムファイターズのファンを魅了し続けた斎藤佑樹さんですが、甲子園で投げ合ったライバル・田中将大選手と常に比較され、期待した活躍ができずにかなりのプレッシャーがあったようです。
プロ野球は活躍して年俸を上げていく職業であるため、成績が年俸に見合わない選手には容赦のないバッシングが浴びせられます。
あまり活躍できなかった斎藤佑樹さんが田中将大選手と同じ年俸をもらっていたら、バッシングの標的になるのも当然かもしれません。次は、現役時代に斎藤佑樹さんが得ていた年俸について紹介します。
斎藤佑樹さんが11年間の現役生活で得た年俸の総額は2億3880万円です。最高年俸は3500万円でした。鹿野表は現役時代の年俸推移をまとめたものです。
年度 | 年俸 |
2011年 | 1500万円 |
2012年 | 3000万円 |
2013年 | 3500万円 |
2014年 | 2800万円 |
2015年 | 2500万円 |
2016年 | 2300万円 |
2017年 | 2000万円 |
2018年 | 1830万円 |
2019年 | 1600万円 |
2021年 | 1600万円 |
2022年 | 1250万円 |
斎藤佑樹さんは高校時代だけでなく、大学時代でも投手として結果を残した実績のある選手です。しかし、プロ野球の世界に入った途端に思ったような成績が残せなくなり、2021年にユニフォームを脱ぐことになりました。
斎藤佑樹さんが引退を決意したのは、自分の不甲斐ない実力や成績が理由ではないようです。斎藤佑樹さんがなぜ引退を決意したのか、その理由を紹介します。
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