福留孝介の年俸・通算成績や自宅は? 現在や「誠意は言葉ではなく金額」についても
福留孝介は中日での年俸交渉で「誠意はことばではなく金額」と言いましたがその真意はどのようなところにあったのでしょうか。また、現在の自宅はどこにあるのでしょうか。この記事では、福留孝介の年俸や自宅などについて詳しくみていきましょう。
目次
福留孝介プロフィール
2022年シーズンをもって現役を引退した福留孝介さんは、現役時代の若い頃には激しく年俸交渉を行うなど、プロ野球ファン以外の方にも印象に残る場面が多い選手でした。
この記事では、福留孝介さんの年俸や現在の自宅などについて解説します。まずは福留孝介さんのプロフィールです。
生年月日 | 1977年4月26日 |
出身地 | 鹿児島県曽於郡大崎町 |
身長・体重 | 182cm・90kg |
投打 | 右投左打 |
ポジション | 外野手・遊撃手・三塁手 |
経歴 | 小学3年生のときに大崎ソフトボールスポーツ少年団へ入団 中学生の時にはボーイズリーグの鹿屋ビッグベアーズに所属 PL学園高校へ進学し1年夏から5番打者、秋から4番に定着 1995年秋のドラフト会議で7球団競合で近鉄から1位指名も入団拒否 社会人野球の日本生命へ進む 1998年秋のドラフト会議で中日を逆指名 1999年中日ドラゴンズに入団 2007年にFA権を取得して12月にシカゴ・カブスと契約 2012年までMLBでカブス、インディアンス、ホワイトソックスなどに所属 2012年12月阪神タイガースと契約 2021年中日へ移籍 2022年シーズン終了後に現役引退 |
福留孝介の年俸について
福留孝介さんといえば年俸交渉が有名でした。福留孝介さんの年俸についてみていきましょう。
年俸推移
福留孝介さんの年俸推移です。まずはドラフトでプロ野球に入団してからMLBへ移籍する前までの年俸推移です。
有名な「誠意は言葉ではなく金額」の名言が飛び出したのは首位打者を獲得した2006年シーズン終了後のことでした。
年 | 所属球団 | 年俸 |
1999年 | 中日 | 1,300万円 |
2000年 | 中日 | 4,200万円 |
2001年 | 中日 | 4,200万円 |
2003年 | 中日 | 1億2,200万円 |
2004年 | 中日 | 2億円 |
2005年 | 中日 | 2億円 |
2006年 | 中日 | 2億5,500万円 |
2007年 | 中日 | 3億8,500万円 |
福留孝介さんがFA権を取得してアメリカのメジャーリーグへ移籍してからの年俸推移です。当時とレートが違うので単純に計算はできないのですが、2023年3月現在のレートでは、2008年の700万ドルは約9億1,500万円、2010年の1,400万ドルは18億3,000万円です。
年 | 所属球団 | 年俸 |
2008年 | カブス | 700万ドル |
2009年 | カブス | 1,250万ドル |
2010年 | カブス | 1,400万ドル |
2011年 | カブス・インディアンス | 1,400万ドル |
2012年 | ホワイトソックスなど | 50万ドル |
2012年のMLBでの結果が思わしくなかったことから、福留孝介さんは2013年にNPBへ復帰します。NPB復帰後の年俸推移です。
年 | 所属球団 | 年俸 |
2013年 | 阪神 | 1億5,000万円 |
2014年 | 阪神 | 1億5,000万円 |
2015年 | 阪神 | 1億5,000万円 |
2016年 | 阪神 | 2億円 |
2017年 | 阪神 | 2億3,000万円 |
2018年 | 阪神 | 1億5,000万円 |
2019年 | 阪神 | 1億5,000万円 |
2020年 | 阪神 | 1億3,000万円 |
2021年 | 中日 | 3,000万円 |
2022年 | 中日 | 3,300万円 |
中日との銭闘「誠意はことばではなく金額」
福留孝介さんといえば、2006年シーズンオフの「誠意はことばではなく金額」という言葉が有名です。本当は、福留孝介さんは「誠意」ではなく「評価」と言ったそうですが、どちらにせよ中日に対して金額で誠実に評価してほしいという気持ちの現われでした。
とはいえ、2006年から2007年には1億2,500万円アップで提示されていたので、球団側としてはこれ以上の評価が難しいというところもあったようです。
このときの年俸交渉は両者がなかなか譲らずに、春季キャンプに入るギリギリまで決着しませんでしたが、最終的に福留孝介さんが折れてこの金額でサインをしました。
翌年FA権を取得したら中日は4年総額17億円を提示しましたが、4年総額4,800万ドル(当時のレートで約53億円)を提示されたカブスへ移籍してしまいます。
福留孝介の通算成績
福留孝介さんのプロ野球選手としての成績です。
中日・阪神での通算成績
日本のプロ野球での通算成績です。
打数 | 安打 | 本塁打 | 打率 | |
NPB通算19年 | 6822 | 1952 | 285 | 0.286 |
残念ながらあと50本ほどで2,000本安打には届きませんでしたが、首位打者を2回、最高出塁率も1回獲得した成績は見事なものです。
メジャーでの通算成績
福留孝介さんのメジャーリーグでの通算成績です。
打数 | 安打 | 本塁打 | 打率 | |
MLB通算5年 | 1929 | 498 | 42 | 0.258 |
福留孝介さんはメジャーリーグではあまり活躍できなかったという声も聞かれます。メジャー移籍後も4年連続で2割5分超えの打率だったところをみると、トップ級ではないもののそこそこでは合ったようです。
福留孝介の若い頃は?
福留孝介さんの若い頃はどうだったのでしょうか。
高校時代の成績
福留孝介さんは高校時代は高校最強のスラッガーとの呼び声も高いバッターでした。その様子はこちらの動画で見てみましょう。
福留孝介さんは当時の野球の名門、PL学園高校出身でした。鹿児島県から大阪のPL学園を選んだ理由は、憧れの立浪和義さんの出身校だったことと、プロ入りを見据えたときにより強い高校を選んだほうがいいという考えだったようです。
PL学園では2年生のときに春に、3年生では春夏ともに甲子園に出場しています。甲子園では、満塁ホームランや3ランを放っています。高校通算ホームラン数は40本です。
高校から近鉄入りを拒んだドラフト拒否
福留孝介さんは高校3年生でのドラフト会議で高校生としては史上最多の7球団から1位指名されて近鉄が交渉権を獲得しました。
しかし、福留孝介さんはドラフト前から希望球団は巨人と中日で、それ以外の球団には行かずに1位指名されても社会人野球に進むと明言していました。
とても固い意志を持って貫くことを心情としていた福留孝介さんは、その意志を貫き通して社会人野球の日本生命へ入社します。
社会人野球から逆指名で中日入り
ドラフト拒否した選手は、高校生なら3年間、大学生や社会人なら2年間、ドラフト指名を受けることができなくなります。
そこで、福留孝介さんは3年間日本生命の野球部で活躍して、当時はアマチュア選手のみだったオリンピックにも出場して銀メダルを獲得しました。
入社3年目の1998年にドラフト指名対象に入ったことから、当時の逆指名精度を利用して憧れの立浪和義さんが所属していた中日ドラゴンズへ入団することになりました。
福留孝介の自宅はどこ?
福留孝介の自宅はどこ?
自宅は名古屋と嫁と子供が住む神戸の2軒
福留孝介さんの自宅は名古屋と神戸にあります。中日に在籍していたときに名古屋に購入したマンションの自宅と、阪神在籍時に購入した神戸の一軒家です。
アメリカに移籍してからも名古屋の自宅はそのままにしておき、日本に帰ってきたときの自宅として使い続けていたようです。
現在、嫁と子供は神戸の自宅に住んでおり、現役最後に中日に移籍したときには、福留孝介さんは名古屋の自宅で単身赴任をしていました。家族全員で名古屋の自宅に引っ越さなかったのは、子供の学校などの都合があったようです。
福留孝介の現在は?
福留孝介さんの現役引退後の現在は何をしているのでしょうか。現役引退後は、日本テレビ、中京テレビ、東海テレビ、東海ラジオ、中日スポーツの解説者や評論家に就任しています。
また、古巣の日本生命野球部の特別コーチに就任して、月に5回から6回ほど指導をしているそうです。
福留孝介の今後の活躍に期待!
福留孝介さんは若い頃には頑固すぎていろいろと物議をかもすこともありましたが、その固い信念がプロ通算24年の現役生活を支えていたことは間違いないでしょう。
今後、社会人野球のコーチなどで経験を積んだ後で、またユニフォームを着てプロ野球の現場に指導者として戻ってくれることを期待しましょう。