ヤクルトとソフトバンクで活躍したホームランバッターのバレンティン選手は、ソフトバンクを退団してから引退したのではと噂されていますが、現在はどうしているのでしょうか。この記事では、バレンティン選手の引退の真相や移籍先、また現在について紹介します。
プロ野球の2022年シーズンは、ヤクルトの村上宗隆選手のシーズン最多本塁打記録の話題で持ちきりでした。
最終的に56本のホームランを打ち、アジア人打者・左打者としての最多本塁打記録を更新しましたが、実はシーズン最多本塁打の日本記録は村上宗隆選手の56本ではありません。
実は、村上宗隆選手よりも前に同じ東京ヤクルトスワローズに在籍した選手で、シーズン最多となる60本塁打をマークした選手がいます。
それがバレンティン選手で、本名はウラディミール・バレンティン、オランダ王国キュラソー島ウィレムスタット出身です。
バレンティン選手は、2011年、2013年にかけてセリーグ史上2人目となる3年連続本塁打王に輝き、2013年には、NPBのシーズン最多本塁打記録(60本)、シーズン最高長打率記録(.779)を樹立しました。
この記事では、バレンティン選手が引退したという噂の真相や、現在のバレンティン選手について紹介します。
東京ヤクルトスワローズ、福岡ソフトバンクホークスで活躍した、バレンティン選手のプロフィールを紹介します。
本名 | ウラディミール・バレンティン |
愛称 | ココ |
生年月日 | 1984年7月2日 |
現在年齢 | 38歳 |
出身地 | オランダ王国キュラソー島ウィレムスタット |
血液型 | ??? |
身長 | 185cm |
体重 | 100kg |
所属球団 | 東京ヤクルトスワローズ(2011年~2019年) 福岡ソフトバンクホークス(2020年~2021年) |
主な成績 | 通算1104試合、3759打数、1001安打、301本塁打、794打点、打率.266 本塁打王(3回) 打点王(1回) 最高出塁率(1回) 最優秀選手(1回) 月間MVP(4回) |
バレンティン選手は16歳でシアトル・マリナーズと契約を結び、マイナー時代の2004年には、19歳でアテネオリンピックの代表メンバーに選出されました。
2007年のシーズン終盤にバレンティン選手は初のメジャー昇格を果たし、2009年シーズン途中にシンシナティ・レッズに移籍します。
長打力はあるものの、粗さの目立つバッティングスタイルのため、バレンティン選手はメジャーではなかなか評価されず、2010年に1度もメジャー昇格を果たせずシーズンを終えます。しかしバレンティン選手はヤクルトと契約し、日本に活躍の場を求めました。
日本のNPBで数々の記録を樹立したホームランバッターであるバレンティン選手ですが、福岡ソフトバンクホークスとの2年契約の最終年となる、2021年シーズン終了前ににウェーバー公示されました。
ウェーバー公示は、チームが所属選手の保有権を放棄する際に、事前に手続きを公表することです。ウェーバー公示されると元所属球団と再契約されることはないため、公示期間中に獲得球団が現れない場合、自動的に自由契約になります。
ソフトバンクから事実上の解雇通告を受けたバレンティン選手は、引退したのではと噂になっています。どんな理由で引退の噂が立ったのかをみてみましょう。
バレンティン選手が引退したという噂の出所は、バレンティン選手自身です。2022年1月22日にバレンティン選手は自身のツイッターを更新し、日本のNPBから引退することを報告しています。
日本でプレイする機会を与えてくれたこと、また日本で最高のホームランバッターになるというプロ野球選手としての最高のキャリアを積むことができたことを、9年間在籍した東京ヤクルトスワローズに感謝する内容でした。
バレンティン選手が東京ヤクルトスワローズと契約したのは2011年11月18日です。契約内容にFA権取得までヤクルトの許可なく日本国内の他球団への移籍を禁じる項目が含まれていたため、FA権を取得する2019年までヤクルトでプレイします。
ヤクルト時代のバレンティン選手は、ヤクルト史上最強助っ人外国人という肩書にふさわしい活躍を見せます。
ヤクルトで積み上げた通算288本塁打は池山隆寛さん(現ヤクルト二軍監督)の304本塁打に次いで球団歴代2位、通算763打点は同4位。在籍9年はヤクルトの外国人では最長記録です。
この記事ですでに紹介したように、2013年には「アンタッチャブル」とすらいわれたシーズン55本塁打を、およそ半世紀ぶりに更新します。すごいのは本塁打数だけではありません。
打率.330(リーグ2位)、打点131(同2位)、出塁率.455(同1位)、長打率.779(同1位=日本記録)とバレンティン選手は同年に軒並みハイレベルな数字を残し、最下位球団の選手としては史上初のリーグMVPに選ばれました。
バレンティン選手はヤクルト時代に1度のリーグ優勝を経験していますが、左大腿直筋の肉離れによる長期離脱によってチームに貢献できず、優勝できるチームへの移籍を模索し、2019年12月16日に福岡ソフトバンクホークスと2年総額10億円で契約します。
しかし年齢による衰えと、直球で内角を執拗に攻める、セリーグとは違うパリーグの打者攻略法に苦しみ、期待していた結果を残すことができませんでした。
ソフトバック時代のバレンティン選手を観察している他球団の首脳陣は、バレンティン選手の獲得にとても消極的でした。
バレンティン選手はバッティングにパンチ力はあるものの、外野の守備と走塁が悪いのでスタメンでは起用しずらく、代打で結果を出せるタイプの選手でもないと評価していました。
そのためソフトバンクからウェーバー公示されても手を上げる球団はなく、NPBを引退することになりました。
バレンティン選手は自身のツイッターで引退を報告しましたが、NPBから引退するだけで現役を引退するわけではありません。
日本の球団からの獲得オファーがなかったバレンティンはどこの国に移籍先を絞ったのか、また現在何をしているのかを見てみましょう。
日本を離れたバレンティン選手が向かった先はメキシコでした。2022年2月13日に、メキシカンリーグのサルティーヨ・サラペメーカーズは公式ページでバレンティン選手の入団を発表しました。
活躍が期待されましたが、サルティーヨ・サルティーヨでは18試合に出場して打率.231、4本塁打、11打点と振るわず、5月25日に自由契約となりました。事実上の解雇です。
1 / 2
続きを読む