佐々木朗希の父親は?家族構成(母/兄弟)や震災・職業について調査
千葉ロッテマリーンズの佐々木朗希選手は、弱冠20歳にして完全試合を成し遂げました。佐々木朗希選手は父を亡くしながら、家族の支えと努力でプロ野球の頂点に到達したヒーローです。この記事では、佐々木朗希選手の原動力となった父親や家族について紹介します。
目次
佐々木朗希の父親はどんな人柄?
完全試合とは、1人の先発投手が相手チームを無得点に抑えるだけでなく、無安打、無四死球、無失策で、1人の走者も塁に出さず完全に相手を封じ完投して勝った試合のことをいいます。プロ野球の長い歴史の中で完全試合を達成した選手は16人しかいません。
1994年に巨人の投手であった槙原寛己選手が広島カープ相手に完全試合をしてから28年間、誰も完全試合を達成できませんでした。しかし、2022年4月10日、新たな歴史が日本プロ野球に加わります。
弱冠20歳の佐々木朗希選手が昨年のパーリーグ覇者オリックスバファローズ相手に、最速164km/hのストレートと高速フォークを武器に三振の山を築いていき、日本新記録となる13者連続三振と完全試合を達成しました。
佐々木朗希選手を語るうえで避けて通れないのが父親の存在と、2011年3月11日に起きた東日本大震災です。この記事では佐々木朗希選手の原動力となっている父親と家族について紹介します。
佐々木朗希は千葉ロッテマリーンズの選手
佐々木朗希選手は小学校3年生から野球を始めました。中学校時代に岩手代表として出場した全国大会で141km/hを記録します。日本全国の強豪校から誘いを受けますが、地元で甲子園を目指したいという思いから県立大船渡高校に進学しました。
甲子園出場は叶わなかったものの、高校日本代表候補による研修合宿の紅白戦では、投げた球が非公式ながら163km/hを計測しています。
それ以降「令和の怪物」としてプロのスカウトから注目されるようになり、2019年のドラフト会議で4球団から1位指名を受け、交渉権を獲得した千葉ロッテマリーンズに入団しました。
佐々木朗希のプロフィール
「令和の怪物」佐々木朗希のプロフィールを紹介します。
本名 | 佐々木朗希 |
愛称 | 令和の怪物 |
生年月日 | 2001年11月3日 |
現在年齢 | 21歳 |
出身地 | 岩手県陸前高田市 |
血液型 | O型 |
身長 | 192cm |
体重 | 85kg |
所属球団 | 千葉ロッテマリーンズ(2020年~) |
主な成績 | 通算 30試合、12勝6敗、防御率2.12、勝率.667、奪三振236 月間MVP(1回) 月間最優秀バッテリー賞(2回) |
佐々木朗希の両親(父・母)の職業・人柄は?父の死因は?
佐々木朗希選手は9歳のときに父親を亡くしています。父親の存在は佐々木朗希選手にとってとても大きく、父親と過ごした時間が今の佐々木朗希選手の人格形成に大きな影響を与えていることは確実です。
「令和の怪物」を作り上げた佐々木朗希選手の父親と母親について紹介します。
父親・功太は葬儀屋をやっていた
佐々木朗希選手の父親は佐々木功太さんといいます。父・佐々木功太さんは生前葬儀屋で働いていました。
岩手県陸前高田市で佐々木朗希選手が生まれる前から存在する葬儀屋は少ないので、高田町にある「陸前高田斎苑」で働いていたと考えられます。
人柄は優しく面白い
父・佐々木功太さんは地元でよく知られた人で、地元の夏まつりでは町内会を率先して盛り上げる明るい性格の人でした。子供たちを愛し、休みの日にはスノーボードやジェットスキーに連れて行ったそうです。
父・佐々木功太さんを知る地元の人たちは、功太さんが誰にでも分け隔てなく接する人で、普段は明るく気さくな人ですが、怒るときはしっかり起こり、自分より他の人を優先する利他的な人だったとコメントしています。
母親・陽子は保険の営業マン
佐々木朗希のロッテとの契約の時の写真見たけど母親めっちゃ綺麗で美人!#佐々木朗希 pic.twitter.com/NAQTWW5PaI
— のんたんのつぶやき (@nozomifan0809) December 10, 2019
佐々木朗希選手の母親は佐々木陽子さんといいます。2019年のドラフト会議の会見の場に佐々木朗希選手と一緒に現れましたが、当時佐々木陽子さんは46歳でした。ですから現在49歳になります。
佐々木朗希選手が9歳の時に夫・佐々木功太さんを亡くし、それ以降一家の稼ぎ手として家族を養っていかなければならず、相当の苦労があったと推測されます。母・佐々木陽子さんは保険の営業マンとして働きながら家族を養っていたそうです。
性格は気さくで天然っぽい
佐々木陽子さんは佐々木朗希選手の意思を尊重する放任主義者で、性格も気さくでどこか天然なところがあるようです。しかし母親として子供のためにできることをしていました。
例えば息子が高校生の時に、息子の体重を増やすために1日6合のご飯を食べさせたそうです。食費だけでもかなりの金額になりそうですが、母親として子供を陰ながら応援していたことが分かります。
東北大震災で父と祖父母が亡くなる
佐々木朗希選手は9歳の時に最愛の父を亡くしますが、死因は2011年3月11日に起きた東日本大震災でした。
佐々木朗希選手の実家があった岩手県陸前高田市は、大震災の際に津波の被害が最も深刻だった場所です。
残念ながら逃げ遅れた父・佐々木功太さんと祖父母は、津波に呑まれて亡くなっています。大震災の津波で亡くなったとき、父・佐々木功太さんは37歳という若さでした。
佐々木朗希の家族構成!父と母以外に兄弟はいるの?
大震災によって愛する父親を失った佐々木朗希選手の苦しみは、想像を絶するものだったはずです。また一家の稼ぎ手を失い、女手一つで家族を養わなければならなくなった母・佐々木陽子さんの苦労も大変なものだったと予想されます。
特に母・佐々木陽子さんには佐々木朗希選手以外にも子供がいたため、生活するだけでも精一杯だったはずです。大震災の後に佐々木朗希選手と家族に起こった大きな変化と、佐々木朗希選手の兄弟についてみていきます。
父の死後家族は大船渡市に引っ越す
佐々木朗希選手はお父さんがなくなった後、母・佐々木陽子さんの親族が住む岩手県大船渡市に引っ越します。
住み慣れた陸前高田市や学校の仲間と離れ離れになり、知り合いのいない大船渡市の新しい学校に転校するのは決して容易なことではなかったはずです。
佐々木朗希選手が新しい環境で頑張るための助けになったのは、母・佐々木陽子さんと佐々木朗希選手の兄弟でした。
兄は佐々木琉希
佐々木朗希選手は3人兄弟で兄と弟がいます。兄は佐々木朗希選手より3歳年上で、名前は佐々木琉希さんです。兄・佐々木琉希さんも硬式野球をやっていて、佐々木朗希選手の母校である県立大船渡高校の野球部で4番を打っていました。
兄・佐々木琉希さんは文武両道のエリートで、高校卒業後に東北大学に進学し、その後東北学院大の大学院に進みます。
佐々木朗希選手が野球を始めるきっかけとなったのは、兄・佐々木琉希さんの影響で、兄に負けたくないという気持ちで佐々木朗希選手は練習に励んでいました。
弟は佐々木玲希
#楽天イーグルス杯 で岩手の #猪川野球クラブ が優勝です。決勝で青森の #十和田スリースターズ を4―0で破りました。先制のホームを踏み、ショートの守備でも再三、好プレーをみせた佐々木怜希内野手は、大船渡の147㌔右腕佐々木朗希投手の弟です。#学童野球 #rakuteneagles pic.twitter.com/KMlF9IE6YO
— 日刊スポーツ新聞社東北取材班 (@nikkan_tohoku) November 26, 2017
3人兄弟の末っ子で、3歳年下の弟が佐々木玲希さんです。弟・佐々木玲希さんも兄たちと同じように野球をしています。弟・佐々木玲希さんも兄たちと同じ県立大船渡高校に入学し、高校2年生ながらショートのレギュラーとして活躍しています。
佐々木朗希の両親(父・母)と兄の感動エピソード!
大震災で大きな被害を受けた佐々木朗希選手と兄弟たちですが、家族で助け合い、幾多の苦難を乗り越え、今では3兄弟すべてが立派に成長しています。佐々木朗希選手の両親への感謝や愛、さらには兄・佐々木琉希に関する感動的なエピソードを紹介します。
両親にウイニングボールをプレゼント
佐々木朗希選手はプロ2年目となる2021年5月27日の阪神タイガース戦でプロ初勝利を上げます。お立ち台に立った佐々木朗希選手はウイニングボールを誰に渡すかと聞かれ、「両親に渡したい」と話しました。
自宅でこの試合を観戦していた母・佐々木陽子さんは「母に渡したい」とではなく「両親に渡したい」という言葉を聞き、亡くなった父・佐々木功太さんを含めたことに感動して号泣したそうです。
兄は弟に厳しく父親代わりだった
文武両道のエリートで、佐々木朗希選手が野球を始めるきっかけとなった兄・佐々木琉希さんにまつわるエピソードもあります。
父・佐々木功太さんが亡くなる前は弟たちに優しかった兄・佐々木琉希さんですが、父の死後、兄・佐々木琉希さんは佐々木朗希選手を厳しく扱うようになりました。生活面だけでなく野球の面でも弟を突き放し、決して褒めることはなかったそうです。
父親のいない今、自分が父親になって弟たちを立派に育て上げなければならないと兄・佐々木琉希さんは感じたようで、そのことを一番理解していたのは母・佐々木陽子さんでした。
特に佐々木朗希選手の名付け親が兄・佐々木琉希さんだったこともあり、佐々木朗希選手には立派になって欲しいという願いが強かったのかもしれません。
佐々木朗希の父親への思いを胸に野球をしていた!
佐々木朗希選手の父親は葬儀屋で働く明るい性格の人でしたが、東日本大震災の津波に呑まれ祖父母と共に亡くなりました。母は家族を養うために保険の営業マンをして働き、今でも佐々木朗希選手を陰ながら支えています。兄弟は兄と弟がいます。
佐々木朗希選手の成功は、亡くなった父と家族のサポートなしではありえませんでした。