高校野球の歴史は長い!甲子園や始まりから現在まで100年の歴史を解説
多くの人が甲子園での大会を毎年楽しみにしている高校野球ですが、その歴史は長く100年以上続いています。では、高校野球にどのような歴史があり、現在のような形になったのでしょうか。この記事では、高校野球の歴史について解説してきます。
高校野球とは
多くの人が甲子園での大会を毎年楽しみにしている高校野球ですが、その歴史は長く100年以上続いています。ここの記事では、高校野球の歴史についてみていきましょう。
高校野球とは何?
高校野球にはどのような大会があるのでしょうか。具体的にみていきましょう。
春の選抜高校野球と夏の大会がある
高校野球には、春の選抜高校野球と夏の大会があります。高校生によって行われる野球の試合ですが、春に行われる大会は選抜高等学校野球大会、夏に行われる大会は全国高等学校野球選手権大会です。
春の選抜高校野球の大会は、夏の大会への出場権を獲得するために行われるものであり、秋の大会は春の選抜高校野球の大会への出場権を決定するために行われます。このように、高校野球は1年間で春と夏と秋に大会が実施されています。
開催地は甲子園
春に行われる選抜高等学校野球大会や、夏に行われる全国高等学校野球選手権大会の開催地は甲子園です。
高校野球といえば夏の甲子園が一番盛り上がる大会ですが、試合に負けた高校球児が甲子園の砂を持ち帰る姿は有名なシーンではないでしょうか。
高校野球の歴史
高校野球にどのような歴史があり、現在のような形になったのでしょうか。ここでは、高校野球の歴史について解説していきます。
高校野球の歴史は100年と長い
高校野球は始まりから現在に至るまでは、実に100年以上の歴史があります。ここでは、1940年代の高校野球から現在までの歴史を振り返ってみましょう。
1940年代
1915年に高校野球は、大阪府豊中市のグラウンドで試合が実施されたことから始まりました。その後、1924年には甲子園球場ができたことから毎年試合が行われることになり、現在も大会を実施しています。
しかし、1940年代になると太平洋戦争の影響によって、1942年から4年間は高校野球の大会が中止されました。1945年に戦争は終結し、1946年には全国中等学校野球連盟(現在の日本高等学校野球連盟)が設立され、西宮球場で試合が行われるようになりました。
1947年には戦争の影響を受けることもなくなった背景もあり、参加校も1000校以上となり甲子園球場での試合を再び行うようになりました。では、1940年代の優勝校をみてみましょう。
- 1940年:海草中(和歌山)
- 1946年:浪華商(大阪)
- 1947年:小倉中(福岡)
- 1948年:小倉(福岡)
- 1949年:湘南(神奈川)
1950年代
1947年からは甲子園球場での試合を再び行うようになりましたが、それまではユニフォームに背番号は付いていませんでした。
高校野球のユニフォームに背番号を付けるようになったのは1952年からです。また、1953年からは高校野球のテレビ中継が開始されています。では、1950年代の優勝校をみてみましょう。
- 1951年:平安(京都)
- 1952年:芦屋(兵庫)
- 1953年:松山商(愛媛)
- 1954年:中京商(愛知)
- 1955年:四日市(三重)
- 1956年:平安(京都)
- 1957年:広島商(広島)
- 1958年:柳井(山口)
- 1959年:西条(愛媛)
1960年代
1960年代になると高校野球の参加校も2000以上になりました。そして、1965年にはカラーテレビでの高校野球の中継が開始されています。
この頃から高校野球の熱が高まっていったのではないでしょうか。では1960年代の優勝校をみてみましょう。
- 1960年:法政二(神奈川)
- 1961年:浪商(大阪)
- 1962年:作新学院(栃木)
- 1963年:明星(大阪)
- 1964年:高知(高知)
- 1965年:三池工(福岡)
- 1966年:中京商(愛知)
- 1967年:習志野(千葉)
- 1968年:興国(大阪)
- 1969年:松山商(愛媛)
1970年代
これまでの高校野球で使用されていたバットは木製でしたが、1974年に金属バットの使用が認められました。木製バットではなかなかでなかったホームランが、金属バットの使用によってホームランの数が増加していきました。
また、1978年には高校野球の参加校も3000以上になりました。このことから高校野球に新しい制度を導入することとなりました。
その制度とは、47都道府県が参加できる49代表制です。このように1970年代は、高校野球の制度が整えられた年であるといえるでしょう。では1970年代の優勝校をみてみましょう。
- 1970年:東海大相模(神奈川)
- 1971年:桐蔭学園(神奈川)
- 1972年:津久見(大分)
- 1973年:広島商(広島)
- 1974年:銚子商(千葉)
- 1975年:習志野(千葉)
- 1976年:桜美林(西東京)
- 1977年:東洋大姫路(兵庫)
- 1978年:PL学園(大阪)
- 1979年:箕島(和歌山)
1980年代
1974年には金属バットの使用が認められましたことによって、ホームランの本数が増加しました。しかし、高校野球の選手すべてが金属バットを使用していたわけではありません。高校野球の選手の中には、木製バットを使用したいという選手もいたようです。
しかし、金属バットの方がホームランを打ちやすいということもあり、1980年代には金属バットの使用率が大幅に高くなりました。また、この金属バットの使用によって試合の中で打撃戦が繰り広げられるようになっていきます。
そんな1980年代の優勝校をみてみましょう。
- 1980年:横浜(神奈川)
- 1981年:報徳学園(兵庫)
- 1982年:池田(徳島)
- 1983年:PL学園(大阪)
- 1984年:取手二(茨城)
- 1985年:PL学園(大阪)
- 1986年:天理(奈良)
- 1987年:PL学園(大阪)
- 1988年:広島商(広島)
- 1989年:帝京(東東京)
1990年代
1990年には高校野球の参加校も4000以上になりました。このように、1990年代は高校野球が全国規模になっていることを表しています。
また、1996年には高校野球の記録員が1人ベンチ入りできるようになりました。では、1990年代の優勝校をみてみましょう。
- 1990年:天理(奈良)
- 1991年:大阪桐蔭(大阪)
- 1992年:西日本短大付(福岡)
- 1993年:育英(兵庫)
- 1994年:佐賀商(佐賀)
- 1995年:帝京(東東京)
- 1996年:松山商(愛媛)
- 1997年:智弁和歌山(和歌山)
- 1998年:横浜(神奈川)
- 1999年:桐生第一(群馬)
2000年代
2000年代に入ると新たに「21世紀枠」が誕生しました。21世紀枠は2001年の大会から導入されたもので、文武両道の高校、部員不足や豪雪地帯などを乗り越えた高校が3校選出されて春の大会に出場できるものです。
ただし、21世紀枠は秋の都道府県大会でベスト8以上であること、また参加校が128校以上の都道府県においてはベスト16以上であることが条件となっています。では、2000年代の優勝校をみてみましょう。
- 2000年:智弁和歌山(和歌山)
- 2001年:日大三(西東京)
- 2002年:明徳義塾(高知)
- 2003年:常総学院(茨城)
- 2004年:駒大苫小牧(南北海道)
- 2005年:駒大苫小牧(南北海道)
- 2006年:早稲田実業(西東京)
- 2007年:佐賀北(佐賀)
- 2008年:大阪桐蔭(北大阪)
- 2009年:中京大中京(愛知)
2010年代
2013年の夏の大会から準々決勝の試合の翌日に休養日を設けることになりました。また、2018年の春の大会からタイブレーク制度が導入されています。この頃から高校野球の選手の負担を軽減する動きが出てきました。それでは2010年代の優勝校をみてみましょう。
- 2010年:興南(沖縄)
- 2011年:日大三(西東京)
- 2012年:大阪桐蔭(大阪)
- 2013年:前橋育英(群馬)
- 2014年:大阪桐蔭(大阪)
- 2015年:東海大相模(神奈川)
- 2016年:作新学院(栃木)
- 2017年:花咲徳栄(埼玉)
- 2018年:大阪桐蔭(大阪)
- 2019年:履正社(大阪)
現在
2010年以降選手の負担を軽減する制度の導入があり、以前までのような試合のスケジュールを優先する方針ではなくなってきています。しかし、2020年は新型コロナの感染拡大防止により、高校野球の春と夏の大会は中止となりました。
高校野球の始まり
高校野球の始まりについてみていきましょう。
春の選抜の始まり
春の選抜の始まりは1924年です。大会が開催されたのは名古屋市の山本球場で出場校は8校でした。
夏の大会の始まり
夏の大会の始まりは1915年です。大会が開催されたのは大阪府豊中市グラウンドで出場校は10校でした。
まとめ
高校野球の始まりは1915年からで、戦争の影響によって中止されていた期間がありました。現在に至るまで制度の導入などいろいろなものが変化した歴史があります。時代に応じて変化している高校野球に今後も注目していきましょう。