松坂大輔さんは「平成の怪物」と呼ばれ、日本プロ野球だけでなく、メジャーリーグやWBCなどの国際大会でも活躍した投手です。怪我に苦しみ41歳で引退しましたが、現在は何をしているのでしょうか。この記事では、松坂大輔さんの現在や生涯年俸などを紹介します。
元ヤクルトスワローズ古田敦也さんのYouTubeチャンネル「フルタの方程式」の企画で、1番凄い真っ直ぐを投げた投手を決める最優秀ストレート賞が選ばれました。
5人の元プロ野球選手から名前が挙がった選手は3名で、その1人がこの記事で取り上げる松坂大輔さんです。
高卒ルーキー1年目の松坂大輔さんのストレートの球速は156kn/hもあり、球が打者の手前でポップするだけでなく、球の軌道が左投手のように外に逃げるため、当時の松坂大輔さんの球をヒットするのは難しかったといいます。
またコントロールがよく、電光石火の高速スライダーも打者が見えないほどの切れ味で、まさに「平成の怪物」だったそうです。
この記事では、2021年に惜しまれつつユニフォームを脱ぐことになった、松坂大輔さんの現在について紹介します。
松坂大輔さんは、横浜高校3年生の時にのぞんだ夏の甲子園決勝戦でノーヒットノーランを達成しました。
その年のプロ野球ドラフト会議で埼玉西武ライオンズから1位指名を受けて入団し、プロ1年目から大活躍します。
また、松坂大輔さんは日本プロ野球だけでなく、野球の世界一を決めるWBC、さらにはメジャーリーグでも活躍しました。「平成の怪物」と呼ばれた松坂大輔さんのプロフィールをみていきましょう。
本名 | 松坂大輔 |
愛称 | ダイスケ |
生年月日 | 1980年9月13日 |
現在年齢 | 42歳 |
出身地 | 東京都江東区 |
血液型 | O型 |
身長 | 183cm |
体重 | 92kg |
所属球団 | 埼玉西武ライオンズ(1999年~2006年) ボストン・レッドソックス(2006年~2013年) クリーブランド・インディアンズ(2013年) ニューヨーク・メッツ(2013年~2014年) 福岡ソフトバンクホークス(2014年~2017年) 名古屋中日ドラゴンズ(2017年~2019年) 埼玉西武ライオンズ(2019年~2021年) |
主な成績 | 日米通算170勝108敗、防御率3.53、勝率.612、奪三振2130 JPB 最多勝利(3回) 最優秀防御率(2回) 最多奪三振(4回) 沢村栄治賞(1回) 新人王(1回) ベストナイン(3回) ゴールデングラブ賞(7回) JA全農 最多奪三振賞(3回) オールスターゲームMVP(1回) パリーグ連盟特別表彰(1回) カムバック賞(1回) MLB Baseball Digest ルーキーオールスターチーム |
松坂大輔さんは、プロ野球ドラフト会議で埼玉西武ライオンズから1位指名を受けて入団した際、球界のエースナンバーとされる背番号「18」を渡されました。その背番号から球団の期待の高さがよくわかります。
8年間在籍した埼玉西武ライオンズを離れ、メジャーリーグのボストン・レッドソックスと契約し渡された背番号は「18」でした。
メジャーに渡ってから6年後にニューヨーク・メッツに移籍しますが、渡された背番号は「16」です。
2年間ニューヨーク・メッツでプレーした後、日本の福岡ソフトバンクホークスと契約し渡された背番号はエースナンバーの「18」でした。
その後移籍した中日ドラゴンズでは背番号「99」、最後の球団となる埼玉西武ライオンズでは背番号「16」を背負ってプレーしました。
松坂大輔さんは、高卒スーパールーキーとして1999年からプロ野球生活をスタートさせ、2021年に引退して選手生活に別れを告げました。
プロ野球選手として23年間の野球人生を送り、引退したときの年齢は41歳です。同じ西武に所属した大投手である工藤公康さんは49歳まで現役を続けられ、29年間プロ野球選手として活躍しました。
松坂大輔さんも工藤公康さんのようにもう少し長く、現役生活を続けることができたのではと思われますが、なぜユニフォームを脱いだのか引退理由を紹介します。
松坂大輔さんの引退理由は、プロ野球選手に付きものの怪我の影響です。引退会見で松坂大輔さんが語っているように、引退を決意するまでの数年間右手のしびれに苦しんでいました。
球を投げることはできたものの、コロナの影響で思うようにトレーニングや治療ができなくなり、右手のしびれだけでなく首の痛みやしびれにも悩まされるようになります。
夜も寝れない日が続き精神的にも追い込まれていったそうです。そのため、2020年7月5日に脊椎内視鏡頸椎手術を受けました。
手術は成功し回復に向かっていると思われましたが、2021年のキャンプでブルペンでの投球練習をしていたときに球がすっぽ抜け、普通なら感じる指の引っかかりを全く感じられず、球を投げることが怖くなったそうです。
右手や首の傷み、また球を投げる恐怖を克服できなかったため、引退を決意したそうです。
怪我に苦しめられ引退を決意した松坂大輔さんは、ファンへの感謝を込めて球団の協力のもと引退試合を行いますが、松坂大輔さんも知らなかったサプライズが、引退試合に計画されていました。
松坂大輔さんの引退試合は2021年12月4日に、埼玉西武ライオンズのメインスタジアムであるメットライフドームで行われました。
引退の言葉を述べてから、入団当時の監督・東尾修さんなどから花束を受け取り、グランドを1周した後、イチローさんがモニターに映し出されます。
モニターに映ったイチロー選手が突如、松坂大輔さんの前に現れ、花束を渡しながら「お疲れさまでした」「長いあいだよく頑張った」という言葉をかけ、心にしまい込んでいた感情が一挙にこみ上げ涙を流しました。
スポーツ選手であればいつかは訪れるのが引退です。しかし、すべての選手が引退試合を行えるわけではありません。引退試合を行えた松坂大輔さんは、幸せな野球人生を送ったといえるでしょう。
23年間のプロ野球人生で獲得した年俸があれば、引退後の人生は安泰のように思われますが、実際どれほどの年俸をこれまで得たのか、気になる松坂大輔さんの年俸の推移と総年俸を紹介します。
最初に紹介するのは、埼玉西武ライオンズ時代の年俸です。
年度 | 年俸 |
1999年 | 1300万円 |
2000年 | 7000万円 |
2001年 | 1億円 |
2002年 | 1億4000万円 |
2003年 | 1億1500万円 |
2004年 | 2億円 |
2005年 | 2億5000万円 |
2006年 | 3億3000万円 |
2020年 | 3000万円 |
2021年 | 2000万円 |
続いて、メジャーリーグで活躍していた時の松坂大輔さんの年俸を紹介します。
所属チーム | 年度 | 年俸 |
ボストン・レッドソックス | 2007年 | 約6億3000万円 |
ボストン・レッドソックス | 2008年 | 約8億3000万円 |
ボストン・レッドソックス | 2009年 | 約8億3000万円 |
ボストン・レッドソックス | 2010年 | 約8億3000万円 |
ボストン・レッドソックス | 2011年 | 約10億3000万円 |
ボストン・レッドソックス | 2012年 | 約10億3000万円 |
ニューヨーク・メッツ | 2013年 | 約1000万円 |
ニューヨーク・メッツ | 2014年 | 約1億5000万円 |
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