横浜DeNAベイスターズに由来する言葉に「横浜を出る喜び」というものがあります。これは内川聖一選手が由来だとのことですが、どのような意味なのでしょうか。この記事では、「横浜を出る喜び」の意味について詳しくみていきましょう。
野球関連のネット掲示板などで「横浜を出る喜び」という言葉が見られることがあります。「横浜を出る喜び」とは一体どのような意味なのでしょうか。この記事では、この言葉の由来や意味について詳しくみていきましょう。
「横浜を出る喜び」とは、当時横浜ベイスターズの選手だった内川聖一選手が2010年シーズン終了後にFA宣言をして、ソフトバンクへ移籍するときに発した言葉が元ネタです。
FA宣言した後にフジテレビ系列の「すぽると!」でのインタビューで「僕自身は(横浜を)出ていく喜びを感じられますけど」と語りました。
このときの言葉が現在まで内川聖一選手の畜生発言、「横浜を出る喜び」としてネットスラングで使われています。
「横浜を出る喜び」の意味とは、横浜ベイスターズから移籍した選手は、移籍先で活躍するという意味です。
実際に、横浜から移籍して活躍した選手が多いのも事実です。横浜ベイスターズから移籍して活躍した選手についてみてみましょう。
内川聖一選手は、2000年秋のドラフト会議で横浜ベイスターズから1位指名されて、2001年に入団しました。
その後、打撃の才能が開花して、10年間の横浜在籍中に5回の3割超え、首位打者1回を獲得しています。しかし、チームの状況は最悪で内川聖一選手がどれだけ打っても常にBクラスという状態でした。
そのような状況に業を煮やし、2010年に国内FA権を取得するとシーズン終了後にFA宣言をしてソフトバンクへ移籍します。
2011年のソフトバンクへ移籍後は、2020年に2軍スタートになるまで安定した打撃でチームを支え続けました。ソフトバンクはチーム自体も強く、リーグ優勝や日本一になることも何度もあり、内川選手の活躍も横浜時代よりもかなり目立つ輝かしいものとなりました。
2021年にはソフトバンクを戦力外となりヤクルトに2年間在籍し、2022年の引退前には、ヤクルトが横浜戦で引退試合を開催したようです。
横浜の選手やファンにとっては「横浜を出る喜び」などと言い放って出ていった内川選手に複雑な思いもあったようですが、試合後の挨拶に横浜側のスタンドの前に来たときの内川聖一選手の涙は、一体何を物語っていたのでしょうか。
捕手の鶴岡一成さんは1996年に横浜ベイスターズに入団しました。2008年にトレードで巨人へ移籍し、怪我やオリンピックで抜けた阿部慎之助選手の穴を埋めています。
2011年にはFAで横浜に出戻り、正捕手の座をつかみました。しかし、2014年にFA選手の人的補償として阪神へ移籍し、2番手捕手として阪神の優勝に貢献しています。
2016年に引退するまで規定打席に達することはありませんでしたが、横浜ベイスターズから2回も出されて活躍した、記録より記憶に残る2番手捕手と言われています。
藤田一也選手は、2005年に横浜ベイスターズに入団しました。内野の守備力は買われていましたが、打撃にムラがあるということで、あまり活躍する機会を与えられませんでした。
そこで2012年に楽天へトレード移籍となります。すると、他の選手の離脱によりレギュラーをつかみ、ゴールデングラブ賞やベストナインを獲得するまでに成長します。
2021年シーズン終了後に楽天から戦力外通告を受けて、現在は横浜DeNAへ出戻っていますが、横浜から移籍後に活躍した「横浜を出る喜び」の選手の一人であるといわれています。
以前は「横浜を出る喜び」が実際に大きかったようですが、現在は逆に横浜に移籍したことで活躍できるようになる「横浜に入る喜び」の方が大きくなったといわれています。
「横浜を出る喜び」から「横浜に入る喜び」に変わった背景とは何があったのでしょうか。
「横浜を出る喜び」から「横浜に入る喜び」に変わったのは、経営の主体がTBSからDeNAに変わったことが大きいといわれています。2011年に横浜ベイスターズの株式の大半がTBSからDeNAに譲渡されたことで、指導人の刷新や練習環境の整備などが行われました。
その結果、選手たちの意識も大きく変わり練習量も増えた結果、試合でも結果が出るようになっています。そして、横浜への移籍をきっかけとして才能を開花させる選手も登場し、「横浜に入る喜び」といわれるようになりつつあるようです。
「横浜を出る喜び」は、現在はネット上のスラングだけです。実際の横浜DeNAベイスターズは、かつての暗黒期のような雰囲気はありません。ぜひ、今後もこの活躍が続くように、横浜を応援していきましょう。