三笘薫は橘高校・筑波大学出身!学歴・偏差値や高校時代を調査!

日本代表試合での華麗なドリブルが大きな話題になった三笘薫選手は出身高校や出身大学が大きな話題になっています。この記事では、三笘薫選手の高校や大学の偏差値、どのような高校時代・大学時代を過ごしていたのか詳しくみていきましょう。

目次

  1. 1三笘薫の学歴・高校について
  2. 出身高校は川崎市立橘高校
  3. 三笘薫の高校時代の驚きエピソード
  4. 2三笘薫の学歴・大学について
  5. 出身大学は筑波大学
  6. 三笘薫が筑波大学に進学した理由
  7. 三笘薫の大学時代の驚きエピソード
  8. 3三笘薫のプロフィール

三笘薫の学歴・高校について

日本代表戦での華麗なドリブルが大きな話題となった三笘薫選手は、現在、イングランドのプレミアリーグ、ブライトンに所属して大活躍しています。三笘薫選手といえば、その学歴もとても素晴らしいといわれていますが、出身高校や出身大学はどこなのでしょうか。

この記事では、多くの人が気になっている三笘薫選手の出身高校と出身大学について詳しくみていきましょう。まずは、三笘薫選手の出身高校の詳細についてです。

出身高校は川崎市立橘高校

三笘薫選手の出身高校は神奈川県立川崎市立橘高校です。三笘薫選手は川崎市出身ということで、地元の公立高校へ進学しました。

橘高校は、創立が昭和17(1942)年ということで、80年以上の歴史のある旧制中学からの伝統校です。もともとは男子校でしたが、2024年から男女共学になっています。

この高校には、サッカー部もあり、2022年の高校総体神奈川県予選では準決勝進出を果たすなど、強豪ひしめく神奈川県内でもいい成績を残しているようです。しかし、三笘薫選手は橘高校のサッカー部には所属せずに、川崎フロンターレの下部組織に所属していました。

橘高校には、全日制と定時制があり、全日制には、普通科、国際科、スポーツ科が、定時制には普通科があります。

三笘薫選手がどの学科に所属していたのかはわかりません。川崎フロンターレの下部組織に所属して、将来Jリーガーになるかもしれない有望選手だったことから、スポーツ科の可能性もあります。

しかし、橘高校のスポーツ科は学校の部活に入ることが必須だという噂もあるので、外部クラブ所属だった三笘薫選手はスポーツ科ではなく普通科だった可能性もあるでしょう。

もしも三笘薫選手がスポーツ科に所属していたら、この動画のような集団行動を体育祭で披露していたかもしれません。

橘高校の偏差値は?

気になるのが三笘薫選手の出身高校である橘高校の偏差値です。橘高校の偏差値は次のとおりです。

普通科 :58
国際科 :54
スポーツ科:44

もしもスポーツ科であれば、偏差値44なのでそれほど入試難易度は高くないでしょう。しかし、スポーツ科に入るには部活での実績とスポーツ推薦が必要だとのことで、部活などでいい成績を残している人しか入学できません。

もしも普通科だとすれば、偏差値58ということで、三笘薫選手はそこそこ勉強も頑張っていたことが伺えます。その後、スポーツ推薦とは言え、国立大学へも進学していることから、橘高校では普通科に所属していた可能性も高いでしょう。

三笘薫の高校時代の驚きエピソード

現在、プロサッカー選手として驚くほど美しいドリブルで私達を魅せる三笘薫選手ですが、その片鱗は高校時代からすでにみられたようです。三笘薫選手の高校時代の驚きエピソードを紹介します。
 

  • 高校生の時にプロからゴール

三笘薫選手が高校2年生だったとき、アルビレックス新潟のトップチームとのトレーニングマッチに挑みます。プロのトップチーム相手に、三笘薫選手は鮮やかなドリブルで見事なゴールを決めてしまいました。

プロ相手に高校生がゴールをドリブルで決めるとは予想していなかった人が多く、観戦していた関係者の間に驚きが走ったそうです。
 
  • 走り高跳びで驚きの記録

高校の体育の授業での走り高跳びで、三笘薫選手は170cmを軽々とクリアしてしまったそうです。走り高跳びの高校男子の記録は2mを超えていますが、三笘薫選手はもちろん陸上選手ではありません。

しかも、シューズは陸上用のスパイクではなく、普通の体育用の運動靴だったとのことです。高校男子の走り高跳びの平均は約130cmなので、たった数回の軽い練習だけで、これだけの記録を出す三笘薫選手の身体能力に、体育の先生も驚いたとのことです。

三笘薫の学歴・大学について

三笘薫選手は大学を卒業していることも話題になっています。

日本では、大学サッカーからのプロ入りも珍しくありませんが、海外では大学を卒業してトッププロになる選手が少ないことから、三笘薫選手の学歴が驚きを持って伝えられていました。

三笘薫選手の気になる学歴の大学について詳しくみていきましょう。

出身大学は筑波大学

三笘薫選手の出身大学は筑波大学です。筑波大学は、茨城県つくば市にある大学で、前身は明治時代に創立された東京師範学校を元とする東京教育大学で、もともとは教員養成の専門大学でした。

1973年につくば市へ筑波大学として移転して、教員養成系の学部ではなく、人文、社会、生命、理工学、情報学、医学、体育、芸術と、ほぼすべての学問領域を備える総合大学となりました。

三笘薫選手は、筑波大学の体育専門学群へスポーツ推薦で入学しています。筑波大学の体育専門学群では、体育、スポーツ、健康に関する最新の科学的研究成果を活用しながら、主に指導者を要請しているとのことです。

筑波大学の偏差値は?

気になる筑波大学の偏差値をみておきましょう。筑波大学の偏差値は学群(学部)や学類(学科)によって55から65と大きく異なります。体育専門学群の偏差値は58で、共通テストで必要な得点率は73%です

筑波大学で最も高い偏差値なのは医学群医学類で、偏差値65、共通テストの得点率は84%となっています。

しかし、これは一般入試での偏差値で、三笘薫選手が受けたスポーツ推薦では、特に偏差値や高校での評定は問われません。

筑波大学でスポーツ推薦を受けるためには、競技で全国大会出場から国際大会出場レベルの競技力が必要です。

三笘薫選手は、高校生の時に川崎フロンターレのトップチームからの誘いもあったので、高校サッカーレベルで全国大会出場レベルは十分満たしていると判断されたのでしょう。

しかし、筑波大学では競技力だけあってもスポーツ推薦は受かりません。入試では小論文が課されるので、小論文対策が必要です。

また、国立大学なので、サッカーで成績を残しているから、勉学の成績を優遇して、多少成績には目を瞑って卒業させるといったことは一切ありません。

部活の公式戦での公欠は認められるようですが、出席重視の授業では試合のための移動などでも出席回数が足りないと容赦なく単位を落とされます。また、勉強での成績が悪いと、単位はもらえません。

そのために、スポーツ推薦の出願要件に評定はありませんが、体育とはいえ筑波大学でのレベルの高い授業についていけるかどうか、といった学力面での審査はかなり厳しいようです。

また、何とか入学はしたものの、勉強面でついていくことができずに中途退学するスポーツ推薦の学生も毎年何人か出てしまいます。

筑波大学出身の有名サッカー選手

三笘薫が筑波大学に進学した理由

三笘薫選手は高校生の時に、川崎フロンターレのトップチームから勧誘されていたそうですが、トップチームへの入団を蹴って筑波大学へ進学しています。

その理由は、大学の4年間でもう一度自分を鍛え直したい、というものでした。日本では、大卒のプロサッカー選手が多いのですが、その多くは高校時代にトップチームからオファーがなかった選手です。

高校生の時には目立たなかった選手が、大学で大きく成長して日本のトップ選手になる例もあります。しかし、三笘薫選手のように、高校生の時にトップチームからのオファーがあれば、ほとんどの選手はオファーを受けてプロ入りします。

しかし、三笘薫選手はトッププロではなく、一見遠回りと見える大学進学を選んだのです。

三笘薫の大学時代の驚きエピソード

三笘薫選手の大学生の時の驚きエピソードを紹介します。
 

  • 自分で徹底した栄養管理

三笘薫選手は大学での課題の一つとして、体を大きくするということを挙げていました。そのために、栄養学を学び、食事も自分で管理していたそうです。

そのために、サッカーで遠征に出るときでも、いつもスーツケースをパンパンにするほどの食べ物を用意していました。
 
  • 天皇杯でベガルタ仙台相手に60mドリブル独走

2017年の天皇杯で、筑波大学はベガルタ仙台と対戦しました。この試合で、三笘薫選手は、プロのトップチームを相手に60mのドリブル独走からのゴールを決めます。

高校生の時にもトッププロ相手にドリブル独走からのゴールを見せましたが、大学では大きな大会で見せていたのです。
 
  • 卒論で自分のドリブルを分析


三笘薫選手といえばドリブルが持ち味ですが、大学の卒業論文でドリブルを分析していたことが話題になっています。

自分や他の選手の頭にカメラをつけて、ドリブルをしているときの視点を分析して、「相手の重心をずらして動かせば勝てる」というドリブルのメカニズムを解明しました。その論文は今も筑波大学の研究室で後輩たちに受け継がれているそうです。

三笘薫のプロフィール

三笘薫選手のプロフィールです。
 

生年月日 1997年5月20日
出身地 神奈川県川崎市宮前区
身長・体重 178cm・73kg
利き足 右足
ポジション MF/Fw
経歴 兄の影響でサッカーを始める
クラブさぎぬまSCから川崎フロンターレU-10へ加入
高校卒業後まで川崎の下部組織に所属
スポーツ推薦で筑波大学入学
2020年シーズンに川崎フロンターレ加入
2021年8月にブライトンへ完全移籍
その後ユニオンSGへ期限付き移籍後現在はブライトン所属

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この記事のライター
元吉 馨
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