大谷翔平選手の出身地や、高校・中学校・小学校など学歴・経歴が気になるファンも多いかもしれません。この記事では、大谷翔平選手の出身地や経歴、出身学校の偏差値など、大谷翔平がプロ入りするまでの様子について詳しくみていきましょう。
大リーグのエンゼルスで、野球の本場のアメリカの人も驚く投打の二刀流でトップレベルの活躍を見せている大谷翔平選手の出身が気になっている人が多いようです。
この記事では、大谷翔平選手の出身や経歴について詳しくみていきましょう。まずは、大谷翔平選手の経歴、プロフィールを紹介します。
生年月日 | 1994年7月5日 |
出身地 | 岩手県水沢市(現在の奥州市) |
身長・体重 | 193cm・102kg |
投打 | 右投左打 |
ポジション | 投手・外野手・指名打者 |
投手成績 | NPB通算5年:42勝15敗0ホールド1セーブ 勝率0.737 防御率2.52 MLB通算4年:28勝14敗0ホールド0セーブ 勝率0.667 防御率2.96 |
打者成績 | NPB通算5年:1035打数296安打48本塁打 打率0.286 MLB通算4年:1986打数530安打127本塁打 打率0.267 |
獲得タイトル | NPB:最多勝利1回、最優秀防御率1回、最高勝率1回、最優秀選手1回、ベストナイン3回 MLB:シーズンMVP1回、新人賞、シルバースラッガー賞1回、コミッショナー特別表彰1回 |
経歴 | 社会人野球選手の父とバドミントン選手の母の間の3人兄弟の末っ子として生まれる 小学3年生で水沢リトルリーグで野球を始める 中学生の時には一関シニアリトルに所属 花巻東高校野球部では1年秋からエース 2012年秋のドラフト会議で日本ハムから1位指名 2013年日本ハムへ入団 2017年シーズン終了後にメジャーリーグへのポスティング移籍を表明 2018年ロサンゼルス・エンゼルスへ移籍 |
大谷翔平選手の出身地はどのようなところなのでしょうか。大谷翔平選手の出身地は、岩手県水沢市、現在の奥州市です。
東北の太平洋側にある岩手県ですが、奥州市は内陸南部に位置するところで、海からは少し離れた場所にあります。
奥州市は岩手県内では盛岡市に次ぐ2位の人口ですが、標高1547mの焼石岳を望み、田園地帯が広がる自然豊かな地域です。大谷翔平選手は自然が豊かでのびのびできるような環境で生まれ育ちました。
大谷翔平選手はどのような小学生時代を過ごしていたのでしょうか。大谷翔平選手の出身小学校や所属していた野球チームについてみていきましょう。
大谷翔平選手の出身小学校は、奥州市立姉体小学校です。欧州市水沢大手町にあります。木造の広い体育館と、広々とした校庭、蔵書が充実した図書館があります。
体育の時間や休み時間は、おそらく大谷翔平選手も体育館や校庭で走り回って遊んでいたことでしょう。また、読書家としても知られる大谷翔平選手の原点が、この小学校の図書館にあるのかもしれません。
大谷翔平選手が小学生時代に所属していた野球チームは水沢リトルリーグです。水沢リトルリーグは岩手県発のリトルリーグ所属チームとして発足しました。
現在は胆沢川河川敷にホームグラウンドがあり、土日を中心に練習しているようです。大谷翔平選手も小学生の時には、水沢リトルリーグでボールを追いかけて、現在の活躍につながる練習を積んでいたのでしょう。
大谷翔平選手が小学生の時にはどのような小学生だったのでしょうか。
水沢リトルリーグに入団したときの監督は、大谷翔平選手の父親でした。父親は監督として、父親として、次の3つのことを大谷翔平選手に教えたそうです。
大谷翔平選手の中学時代はどのようなものだったのでしょうか。中学時代に迫ってみましょう。
大谷翔平選手の出身中学校は、奥州市立水沢南中学校です。奥州市水沢真城大檀にある中学校で、岩手県内で最も生徒数が多いそうです。
大谷翔平選手はメジャー移籍してもすぐにチームに馴染んだコミュニケーション力も注目されましたが、県内で一番生徒数が多い環境で、人間関係に揉まれて鍛えられたのかもしれません。
大谷翔平選手が中学生の時に所属していた野球チームは一関リトルシニアです。中学1年生まで水沢リトルで活動し、2年生から一関リトスシニアに所属していました。
一関リトルシニアは奥州市の隣の一関市で活躍している野球のリトルシニアのチームです。専用の室内練習場を完備しているということで、大谷翔平選手にとっては中学生レベルでも野球の練習をするのには最適な環境だったのでしょう。
大谷翔平選手はこのチームに在籍しているときに全国大会へ出場しています。
大谷翔平選手の中学時代の勉強の成績はどのくらいだったのでしょうか。
中学3年生の担任によると、成績は40人程度のクラスのトップ10に入るくらい優秀で、地元の進学校の県立水沢高校にも十分に行けるだけの学力があったとのことです。
大谷翔平選手の中学時代は、勉強にも野球にもしっかりと取り組むとても優秀で真面目な生徒だったようです。所属していた一関リトルシニアではエースピッチャーとして活躍していました。
中学3年生のときには、すでに時速130kmの球速をマークしていたとのことです。中学3年生なら、時速120kmでも高校でエースになれるといわれています。それよりも10kmも早い球をすでに投げていた大谷翔平選手には、やはり野球の天才の片鱗をすでに見せていたようです。
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