工藤公康監督は、選手時代は14回のリーグ優勝と11回の日本一を経験した歴代最高の左腕投手の一人です。工藤公康監督の妻は工藤雅子さんですが、若い頃から連れ添っているため再婚ではという噂もあります。この記事では、若い頃の妻工藤雅子さんや現在の姿などを紹介します。
現役時代には輝かしい成績を残し、監督に転身してからも好成績を残す野球選手は極めて少ないですが、工藤公康監督は選手としても監督としても一流であることを証明した、数少ない野球選手の一人です。
埼玉西武ライオンズ、東京読売ジャイアンツ、現横浜DeNAベイスターズの3球団で積み重ねた成績は、通算224勝142敗、防御率3.45で、これらの数字が工藤公康監督がいかに優れた投手であったかを物語っています。
工藤公康監督は48歳のときに、30年に及ぶ現役生活から退きました。そして引退から3年後の2015年に、前任監督であった秋山幸二氏の後を引き継ぎ、福岡ソフトバンクホークス監督に就任します。
2015年~2021年まで指揮を執った福岡ソフトバンクホークスを常勝軍団へと変ぼうさせ、福岡ソフトバンクホークスを3度のリーグ優勝、5度の日本一に導き、指導者としても一流であることを日本全国にしらしめました。
「人気はセリーグ、実力はパリーグ」というこれまでの評判を覆し、人気も実力もパリーグはセリーグに引けを取らないことを、工藤公康監督は証明しています。
では、工藤公康監督のプロフィールをみていきましょう。
本名 | 工藤公康 |
愛称 | ??? |
生年月日 | 1963年5月5日 |
現在年齢 | 59歳 |
出身地 | 愛知県名古屋市天白区 |
血液型 | O型 |
身長 | 176cm |
体重 | 80kg |
所属球団 | 埼玉西武ライオンズ(1982年~1994年) 現福岡ソフトバンクホークス(1995年~1999年) 東京読売ジャイアンツ(2000年~2006年) 現横浜DeNAベイスターズ(2007年~2009年) 埼玉西武ライオンズ(2010年) |
主な成績 | 通算224勝142敗 最優秀選手(2回) ベストナイン(3回) ゴールデングラブ賞(3回) 野球殿堂競技者表彰 正力松太郎賞(5回) 月間MVP(1回) 最優秀投手(1回) 日本シリーズMVP(2回) 日本シリーズ最優秀選手(2回) 最優秀バッテリー賞(1回) パリーグ連盟特別表彰(2回) JA全農 最多奪三振賞(1回) IBMプレイヤー・オブ・ザ・イヤー賞(1回) ヤナセ・ジャイアンツMVP賞(1回) ビッグスポーツ賞 |
工藤公康監督の妻は工藤雅子さんです。工藤雅子さんは美人で、結婚前の若い頃には地元茨城県でミス梅娘に選ばれています。
ミス梅娘は50年以上もの歴史がある由緒正しいミスコンテストです。それに選ばれた妻の工藤雅子さんは容姿だけでなく、人としてもよくできた女性であったことが分かります。
工藤雅子さんのプロフィールを紹介します。
本名 | 工藤雅子(旧姓 喬木雅子) |
愛称 | ??? |
生年月日 | ??? |
現在年齢 | ??? |
出身地 | 茨城県鹿島市 |
血液型 | ??? |
身長 | ??? |
体重 | ??? |
工藤公康監督の妻である工藤雅子さんは、容姿が整った美人な女性であるだけでなく、夫である工藤監督が選手生活を長く続け、日本球界に留まれるように努力された女性でもあります。
工藤公康監督の素晴らしい活躍は、工藤雅子さんの「内助の功」あってこそともいわれる所以をこれから紹介します。
どのスポーツでも共通していえることですが、怪我や病気をしない体作りをすることは、アスリートにとって重要なことです。
特に重要なのは毎日の健康管理と食事管理ですが、妻の雅子さんは栄養士の資格を持ち、結婚前はその資格を使って仕事をしていました。
現在は栄養士の国家試験は廃止されていますが、工藤雅子さんが若い頃はまだ国家試験を受けなければ栄養士にはなれなかったので、努力して栄養士になったはずです。
野球選手として生き残るために、妻の雅子さんは栄養士の知識を活かして若い頃の工藤監督の食生活を改め、それがその後の成功に繋がっていきました。
雅子さんは、夫である工藤監督の30年間に渡る選手生活を支えるために取り組んできた、栄養管理に関する知識をまとめた本を出版されています。本のタイトルは「工藤家の元気が出る食卓」です。
読者からの評価はとても高く、読んだことを実践して効果が出たという口コミも数多く寄せられています。
また雅子さん自身が生産者のもとに足を運び、購入した食材をまとめた本「工藤さんちの幸せを呼ぶお取り寄せ」も出版されています。
工藤公康監督を食事管理の面でサポートし、48歳まで現役を続けられる原動力となった妻の工藤雅子さんは、どのように工藤監督と知り合って結婚したのか、気になる二人の馴れ初めについて紹介します。
工藤公康監督と妻の工藤雅子さんの馴れ初めを語るうえで、外すことのできないキーパーソンがいます。埼玉西武ライオンズで工藤監督が共に汗を流した友人である清原和博さんです。
清原和博さんが工藤監督に雅子さんを紹介したことがきっかけで交際が始まったといわれています。ですから再婚ではありません。
若い頃の工藤監督は精神的に幼かったこともあり、武者修行として球団によってアメリカに留学に行かされたそうです。
帰国後、そこそこの成績は残すものの、年間を通して130試合を戦えるだけ体力がなかったこともあり、徐々に成績を落とし故障離脱をすることもありました。
工藤公康監督にはこんな逸話があります。若い頃、工藤監督は毎晩飲み歩き、その結果肝臓が腫れ、肝数値が高くなり、医者からこのままでは死ぬと言われる始末でした。
体調を常に崩していた工藤監督は、当時交際していた雅子さんに「野球をやめて山にこもって暮らそう」と言ってプロポーズしたそうです。雅子さんはプロポーズを受け入れ、1989年にめでたく結婚しました。
結婚後の工藤監督の活躍はめざましく、1991年には自己最多の16勝と最高勝率を獲得し、翌年は11勝、その次の年は15勝を上げています。
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